3月8日:W.P.さんの証(ムスリムからクリスチャンに)

メッセージ

両親ともムスリムという家庭に生まれたW.P.さんは、ジャカルタのとある村出身。お父さんはドイツ系の会社で働いており、収入は悪くありませんでしたが、ギャンブルやアルコールに稼いだお金を全て注ぎ込んでいました。

夜中出歩いて帰ってきたお父さんを家族が心配しても、逆に激怒する始末。村には小さな店も持っていましたが、W.P.さんのお母さんが開店の準備をしようとする度にお父さんが邪魔をし、いつも喧嘩になっていたそうです。
DVも激しく、何度もバスで6時間かかるお母さんの実家へW.P.さんと兄弟を連れて避難しました。

そんなある日お母さんの実家近くで、手を繋いで歩いて行く人たちを見ました。
ジャワのイスラム教徒たちは男女で手を繋ぐ習慣がなかったので、興味を持ったW.P.さんのお母さんはそっとついて行きました。
彼らは現地のキリスト教の教会の人たちだったのです。

その頃、W.P.さん一家は1日5回礼拝するムスリムでしたが、彼女が教わったムスリムの天国像は『7本の髪の毛の橋を渡って行く。悪い人は行けない。髪の毛の下には消えない火が燃えている』というもので、自分は悪い子だ!と自覚していたW.P.さんはとても天国には行かれない!と怯えていたそうです。

家にはお金も平和もなく、鶏などを売ってはお父さんはギャンブルとDVを繰り返していました。何度もお母さん方の実家へ避難し、その度にお母さんは教会で色々な相談をしているようでしたが、その内お母さんが救われクリスチャンになったのです。
お父さんの怒り、暴力にも愛で応答するようになったお母さんの変化に気付いたお父さんも、やがて救われてクリスチャンになるのです。
W.P.さんは”行くのに難しい天国”像を抱いていましたが、「イエス様を信じるだけで良いのだ」と聞いて安心しました。家族全員でクリスチャンになったのですが、周囲がムスリムの小さな村ではここからも試練だったのです。

仲の良かった親族からも、クリスチャンになったと知られてからは迫害こそ受けませんでしたが完全に無視されたそうです。
教育にお金の掛かるインドネシア。W.P.さん、お姉さん、2人の弟を置いてお父さんはシンガポールへ、お母さんはジャカルタへ出稼ぎに行かなければなりませんでした。子供だけで待つ間、両親がお金をもってくる間、何とか生活をしないといけません。W.P.さんはお姉さんと一緒に花を売ったりして苦労しました。

そんな中、お父さんがシンガポールで工事現場の出稼ぎ中マラリアに罹りました。3か月以上も入院する事になり、離れた場所で働くお母さんは毎日お父さんのために祈っていました。
困窮する中で、道端で野菜や米を売っていたお母さんはある日、通りがかりのお客さんに話しかけられたことがきっかけで自分がクリスチャンであることを告白しました。すると何とその人は牧師で、「教会内で売ったら」と提案してくれたのです。
また、お父さんと一面識もない人が入院費・治療費一切を払ってくれたのです。
退院後、両親は一緒に仕事が出来るようになりました。今は2人とも主にあって一致しているそうです。

W.P.さんが4~5歳くらいの時からクリスチャンになった11歳くらいまで、生活が非常に大変でしたが、信仰の中で歩むうち、彼らの住んでいた村の中でW.P.さんの兄弟だけが、全員大学へ行けるだけの経済力を与えられたのでした。(下の弟さんは奨学金で千葉大学へ)
村の人たちは伝統を重んじるあまり、何年経っても暮らし向きは変わらず変化出来ないのだそうです。W.P.さんは、神が一緒にいて下されば不可能なことは何もないと経験しました。
お父さんのアルコール、タバコ、ギャンブル、DVも全てストップすることが出来たのはまさに主が共にいて下さったからです。

質問

①クリスチャンであることで、危ない目にあったりしたことはありますか?

何度もあります。
ジャカルタにある教会が焼かれそうになったこともありました。500人くらいがバイクに乗ってやってきて、教会を爆破しようとしたのです。
また、商売中に「クリスチャンにはお金を払わないでいいだろう」、と言われたこともありました。

②インドネシアの人がクリスチャンになる主なきっかけは何ですか

癒しです。
皆貧しく、病気になっても病院へかかるお金がありません。病を癒された人たちは信じ、そしてイエス様を受け入れてバプテスマを受けます。毎月大体1000人くらいがバプテスマを受けますが、その内の約3割がムスリムです。

③クリスチャンとして生活するのは大変ですか?

大変です。
ジャカルタは大都市なのでまだ大丈夫ですが、スマトラや他の地域ではクリスマスの集会が政府に許可されなかったりしました。
そのため、これはまた他の証になってしまうのですが、ある教会がクリスマスのお祝いが出来ないため、皆で山頂へ行こうということになりました。

その日教会は襲撃され、燃やされてしまったのです。さらに来たのが津波です(2004年12月26日現地時間7:58 スマトラ島沖地震)
その日山の上にいた信徒たちは皆助かりました。

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