12月1日:聖書的な生き方のすすめ3

メッセージ

聖書は神の生きた言葉

・ヘレニズム文化(古代ギリシャ):古代ギリシャに始まる「人間中心」の文化→聖書から離れる
・ヘブライズム(Hebraism):ユダヤ人風の文化のこと。神から人への啓示、神中心の文化は古代のヘブライ人に始まります。

ヘブライ語は「完了形」と「未完了形」のみです。ex)創世記1:1~5は、1節が完了形、3,4,5節が未完了形です(5節には完了形も入っていますが)。これは「創造した」という完了行為が起点となって展開しているためです。

<神様に関する完了形の時制>

→未来も既に完了 →永遠も既に完了・・・時制を問題にされない、時間を超越されている。

<神学者や聖書学者の混乱>

ジャン・カルヴァン:予定説・・・だれが救われるか、滅びに至るか予め決められている。救済されるのは特定の選ばれた人に限定され、一度救済にあずかれた者は、罪を犯しても必ず神に立ち返るとされる(wikiより)

ヤーコブズ・アルミニウス:アルミニウス主義・・・救いは各自の応答による。それを神は知っているだけで、滅びる者が予め定められているわけではない。予定説に疑問を持ったことから生まれた。現在では、メソジスト、ホーリネスなどがこの立場を取っている。救いは信仰に条件づけられているので、万人救済主義(ユニバーサリズム)ではなく、救いの備えが、万人のものであるとする。(wikiより)

未完了形・・・まだ完了していない人間に関係する領分(永遠の時間の流れ)。

・・・未来は、人の自由意思と関係する。神は、私たちの救いを私たちの自由意志の選択に任されている(エペソ1:4)

★予定説とかアルミニウス主義とかでなく、聖書の時間の捉え方、視点を理解しているなら問題ない!

①人間はアダムの罪以来すべての人が完全に堕落している。
②イエス・キリストの十字架の赦しを誰もが必要としている。
③イエス・キリストの十字架の赦しを受け入れた者は、過去現在未来の全ての罪が赦され、未来において裁かれず、永遠のいのちに移されている(未来の事は完了している)
④神との契約を破る者はどうなるのか?(契約者である神の領域)

ヨハネ5:24/まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのち(現在形)さばき(現在形)にあうことがなく、死から永遠のいのちに移っています(完了形)。

<人の不安>

・複数の時系列を超えられない。ex)マルコ5:21~43「恐れないで、ただ信じていなさい」 ex)ヨハネ11:17~22

ヨハネ11:23/イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」

・・・聖書は過去に書かれたものだが、イエスは「今」のことを言っている。当時「完了」した出来事、人も、神にとっては同じ。よって、過去の体験は今も同じように追体験できる!!

①時間を超越した神がいるから
②過去も未来もそして現在も、変わらない全能の神の御前で、過去の聖徒たちと同じに体験で、追体験可能なものがある。
③時間を超えて常に「わたしはある」「存在し続ける」と言われている方と私たちも同じ信頼関係を築いていくことができる。

聖書の神のことばを読む者が神に信頼し、自分と結びつけて読むか、否か。

ヘブル4:2~3/ヘブル9:12/ヘブル9:7・・・過去の書物ですが、今の私たちに働きかけられています。言葉は生きていて力があります。

神のことばを信仰によって自分に結びつける=きょう自分に語られた言葉をして受け取り行動する。(ヘブル11章には具体例の数々が出ています)

聖書のことばを「自分に語られている」約束であり、神のみ心だと受け取り、従っていくなら、祝福を体験します。

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