8月1日:祈り-Ⅰ歴代誌4:9-10より-①

メッセージ

ヤベツの祈り」と呼ばれている聖書の部分をご存知でしょうか?
第一歴代誌4章にある、ほんの二行の短い聖句です。今日は本題の「祈り」に入る前に、この聖句を使って仕掛けられた罠についても話しますので、本題は少しだけ・・・ヤベツの紹介のみになります。

ヤベツの祈り、大流行!?

ヤベツは彼の兄弟たちより重んじられた。彼の母は、「私が悲しみのうちにこの子を産んだから」と言って、彼にヤベツという名をつけた。
ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。

Ⅰ歴代誌4:9-10

このシンプルな祈りが2000年位にアメリカで大ヒットしたそうです。その後、この祈りについて書かれた本が翻訳され、日本でもヒットしました。

ヤベツの祈り

祈りの部分には私、私、私、私という言葉が、沢山出てきます。
ヤベツというユダ族の男が、自分の為に祈った短い祈りです。
彼の背景は少し読んだだけでは、名前に込められた意味や、一言出てくる「他の兄弟」という言葉以外、詳細は分かりません。
救世主、メシアが産まれると言われるユダ族ですが、彼は本流ではなく、支流の家系だったとも言われています。

この聖句を毎日唱えると、とてつもなく人生が変わる!物凄い祝福が来る!というので、クリスチャンもともかく、そうでない人までこの本を読みました。

歴代誌とは

ざっくり歴代誌

歴代誌というのはヘブライ語で דברי הימים‎ (Dibhrēy hayYāmīm )。
The words concerning the daysという意味で、英語の歴代誌(Chronicles)という書名は、ローマ・カトリックが正典としたブルガタ訳(ラテン語)から来ています。

旧約聖書の中でもあまり馴染みがないかも知れません。
サムエル記、列王記、歴代誌は、それぞれ本来は一書ですので、内容はとても似ているのです。
あれ、これさっき読まなかったっけ?という位似ています。


それは聖書に再記述という法則があるからです。
聖霊から告げられたことをまず書き、その最初の記述に聖霊が追加する、又はカットする、詳細に記述する…という風に同じことが、視点を変えて書かれるのです。
ちなみに、歴代誌では北イスラエル王国のことはほぼ無視されていて、南ユダ王国に焦点が合わされています。

願いが叶うおまじない

例えばこんな感想を見つけました。

ヤベツの祈りって本当に効くの? そう思っている人は ぜひおすすめです! クリスチャンでなくてもこの本を読み祈り続けるだけで、必ず良い結果が出ると思いますよ。

『ヤベツの祈り2』感想より

この聖句をいわゆる「願いが叶うおまじない」みたいに紹介する本や、人が多いので、これは良くないなと思いました。そこで今回は、祈りの内容に入る前に『ヤベツの祈り』を使って仕掛けられた罠について考えてみます。

え、スピリチュアル?

アマゾンで調べてみたらヤベツの祈りに関する本が出てきました。検索して1番ヒットした本がこれです。

地境を拡げ壁を突破するヤベツの奇跡の祈り―3000年の彼方から届いた旧約聖書のメッセージ』。
The Miraculous Prayer of Jabez』という英語のタイトルもついていますが、日本の本です。

紹介文も凄いです
『旧約聖書には誰も気づかない「隠された宝」と呼ばれる祈祷文があるという(中略)あらゆる宗教の枠を超越するバイブル至宝の叡智「ヤベツの祈り」が、数千年の時を経て今ここに蘇る!』
聖書を読んでいる人はいますので、誰にも気付かれていないわけではないと思いますが。

さらに目次を読んでみると、首を傾げる言葉が並んでいました。色々な問題がお分かりになりますか?
特に驚いたのが最後の5章に書かれている事ですね。

宗教のくびきを超えるのは良いのですが、共存してはいけません。それは昨今はカトリックでもしきりに唱えている”エキュメニカル”です。
真理が他の真理と共存は出来ないのです。
それとも、入り口は何でも良い、どんな道でも主に繋がるというのでしょうか。パリサイ人のパン種を思い出してください。

著者はその世界では有名なスピリチュアリストでした。

しかし共著者3人目の方は牧師で、日本で出版された『ヤベツの祈り』の著者でもあって驚きました。
さっき紹介した >必ず良い結果が出る という感想が書いてあった本です。

アメリカで800万冊以上売れた、本家『ヤベツの祈り』はこちら(右)ですが、如何せん、祝福の例が、ミニストリーの拡大のみなので、神が祝福される対象は「宣教のみ」であるかのような印象を与えかねないのです。

勿論、とても良い本であるとは思いますが。

実生活への適応が無く、牧師や宣教師としてどう成功するか…という感じで、まだイエスを知らない人が読んでも、ピンとこない感じがします。その為に、ディボーションガイドや、女性のためのヤベツの祈りといった本が、後から補完する形で出たのかも知れません。
「聖書以上かも」とか「唱え始めて早1か月、願いがかなった」という感想が、こちらにもあったのも気になります。

ようするに、『ヤベツの祈り』という名前を付けられたこの短い聖句は、ニューエイジ、スピリチュアルによって誤解が生まれ、食い物にされてしまったという事が分かります。

この聖句を、聖書の中の、特別なおまじないのように読むことは、良くありません。ヤベツのように祈れば全てが上手くいく、祈ったら神様に全部お任せ!と思うのは、この世が天の御国だと錯覚することです。

もし祈った結果、自分の望む答えが頂けなかったら、上手くいかないと思ってしまったら、自分が不信仰、不信頼なんじゃないかという要らない不安まで持つことになります
ヤベツの祈りは都合の良いおまじないではありません。

ヤベツという名前

英語ではJabezと書きますが、ヘブル語で「ヤベツ」(「ヤベーツ」יַעְבֵּץ)です。
ここにしか名前が出てこないと言いましたが、第一歴代誌2:55に、恐らく地名として出てきます。

悲しみとか苦しみ、痛み、傷、と訳す「オーツェヴ」(עֹצֶב)が、名前の由来です。
これをひっくり返して読むとヤベツなんですね。

お母さんが「私が悲しみのうちにこの子を産んだから」ということですが、具体的にどんな悲しみ、苦しみを味わっていたのかについては書かれていません。

ヤベツの事を話すとき、どの解説も大体名前の説明が最初にくるのは、ヘブル的には、名は実体を表すからなんです。ヘブル人は名前や言葉について特に、強く現実と結びつけた、生きる働きとして考えていました。
日本では、以前はDQNネーム。今はキラキラネームと言われるちょっと変わった命名が流行りました。今もあるのではないでしょうか。

でも創造主なる神は、人に言葉を与えられました。創造の働きのお手伝いも、言葉によってした位です。

神である主は土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造り、それにどんな名を彼がつけるか見るために、人のところに連れて来られた。人が生き物につける名はみな、それがその名となった

創世記2:19

名前というのは大事なんです。
例えば神が改名をさせた代表にはアブラハムがいます。もとはアブラムでした。
イサクの息子、ヤコブも、いよいよ新しいスタートを切るというときに、イスラエルという名に改名させられました。(創世記32:28)

そのヤコブは、最愛の妻ラケルが子を産んだ時、大変な難産だったので、ラケルはその子を「ベン・オニ」(בֵּן-אוֹנִי)と呼びました。それは「私の苦しみの子」、あるいは「私の悲しみの子」という意味です。
ラケルはお産がもとで死んでしまいます。

ところが、父ヤコブはこの子の名をなんと「ベニヤミン」(בִנְיָמִין)と改名しました。「ベニヤミン」とは「右手の子」という意味で、「右手」(「ヤーミン」יָמִין)は聖書では特別な存在を意味します。神との特別なかかわりのある言葉です。(創36)

ヘブライ世界において、名は体を表したのです。

重んじられたヤベツ

こんな名前を貰ってしまった子供の運命は、もうこの時点で決定しているような、そんな状態です。
ヤベツはどんなハンデを背負っていたんでしょうか?

自分自身にでしょうか?または生まれた時の環境でしょうか?お母さんはヤベツを見るたびに、溜息をついていたかも知れません、でもそんな運命の中から、>ヤベツは彼の兄弟たちより重んじられた。とあります。

この、「重んじられた」というのは「尊敬された」という意味です。
他の兄弟にとってヤベツは無くてはならないような存在になったのです。

大切な存在というのは、あなたの役に立つ人の事ではありません。それは、あなたの存在を認めてくれる人、そして大切にしてくれる人のことです。

ヤベツが兄弟に重んじられたのは、勿論兄弟たちに愛されていたのでしょう。
生まれからして悲しみにあふれているヤベツが、なぜ兄弟たちに愛されたのか、それは書いていないので分かりません。

でも1つだけ分かるのは、ヤベツは、他の兄弟を愛したのでしょう。
だから愛されたのです。
愛されるより先に人を愛する、そういう愛がどこから来るのかというと、創造主、私たちの造り主から来ます。

造り主の愛に満たされた時、私たちは自分自身を愛せるようになります。
神の愛が、まず先なのです。

神の愛を受け取った時、自分が認められるより先に人を認め、自分が愛されるより先に人を愛することが、出来るようになるのではないかと思います。

ヤベツは、悲しいとか痛みという、ある意味最悪なキラキラネームを付けられていました。
もし彼が神を信じていなかったら、彼の人生はどうなったかと思うんです。
兄弟たちに重んじられたでしょうか?

神はヤベツを愛しておられました。何事も、神に先行することは出来ないんですね。
次回は、>ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。から、祈りの内容も、ご一緒に読んでみたいと思います。

※より詳しい音声と動画はこちらより。パスワードは webcha です。

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