9月19日:死後の世界⑤イエスがハデースに遣わされた5つの目的

メッセージ

十字架の直後、イエス・キリストが遣わされた死後の世界、ハデースで、成し遂げてくださった5つのこと、ご存知ですか?
もし、イエス・キリストがハデースに遣わされなかったら、大変なことになります。
皆さんと考えてみたいと思います。

※より詳しい音声と動画はYOUTUBEより。

①父なる神の認証

イエスがメシアであることを裏付けて下さるために、イエスはハデースへ下られました。
それについて更に5つ説明します。

①-A:イエスが十字架で人類の救いを成し遂げられた

私たちの罪の代価、贖いはイエスの十字架によって完全に成し遂げられました。
イエスが十字架上で発されたことばは、ギリシャ語で「テテレスタイ」と言い、「完済した」という意味です。

しかし、十字架の救いは私たちの罪を購っただけで、全ての救いの完成ではありません。その証拠に、この地上には相変わらず悲しみや不正、争いが満ちています。
イエスに信頼した私たちでさえ、日々の生活の中で古い自分の性質に戻り、主の道から外れては向き直り…を繰り返すのです。

①-B:一点の罪もない、聖なる方として

告発する者、サタンは24時間私たちの罪を主に告発しています。そして私たち自身は、それに申し開きすることも出来ません。
そのサタンの口を封じる為に、イエスはハデースへ下って下さいました。罪人として下られたのではありません。聖なるお方として死に打ち勝った方として下って下さったのです。

①-C:旧約に預言されていたメシアが、イエス

使徒の働き2:31

①-D:キリストの義(無罪判決)の転嫁

イエスが死んで下さり、それでお終いだったら、私たちの罪の赦しの保証は一体何でしょうか?
”復活された”ということが、保証となるのです。

①-E:十字架の救い、ハデースからの復活

父なる神の認証、それは、『イエス以外に救い無し』ということをはっきりと保証する為のものだったのです。

②アブラハムの懐を天へ

イエスが十字架で死んで下さる以前にも、メシアを待望し、主なる神を信じて死んでいった多くの人がいました。彼らはまだ天の御国へは行かれず、ハデースの”アブラハムの懐”と呼ばれる場所にいます。
彼らがイエスの元へ移されることを、聖書は暗示しています。

十字架上でイエスの両脇に、同じように十字架に架けられた罪人がいました。一方の罪人はイエスをあざけりましたが、もう一方の罪人はそれをたしなめました。そして上記のように言いました。
イエスは彼に『今日』とは言われず、「その日」、わたしとともにパラダイスの中にいますと言われたのです。アブラハムの懐、とは書かれていません。

パラダイス、とは

第三の天とは

パウロが引き上げられた第三の天。それはⅡコリント12:2-4に記してあります。
霊によってか、肉体を持って行ったのか分からないとありますが、何となくパウロは肉体を感じていたような気がしますが、どうでしょうか?

第三の天とはパラダイス=イエスのもと

ちなみにこの、『人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことば』とは、異言ではありません
人によっては前頭葉をシャットダウンして、自分にも意味の分からない音が口から出て来ると、聖霊のバプテスマを受けて異言が話せるようになった!異言で祈れるようになった!と言われるのですが、それはどうかと思います。
特にこれは、「語るのが許されないことば」ですので、異言ではないでしょう。

③ハデースで救いの福音を伝える為

「イエスの声を聞き、出て来る者たちがいる」という約束があります。


まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。そして、聞く者は生きるのです。

このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます
善を行った本質的に良いことを掴んだ者は、よみがえっていのちを受け、悪を行った者は、よみがえってさばきを受けるのです。

ヨハネ5:24-25 ヨハネ5:28-29

ハデースでは、もう善を行うことは出来ません。これは「本質的に」良いことを掴んだ者は、よみがえっていのちを受けるのです、という意味です。
何という福音でしょうか!
これを聞いて、理解する者は「いきる」のです。

ハデスにおいて福音を聞く機会があります

Ⅰペテロ3:19に「宣言」とある言葉、ケールッソーは「福音の宣教宣教」に使われる重要な言葉です。
この部分を単に宣言としてしまうと、十字架の後にハデースへ下られ、そこにいる霊たちを断罪したとか、勝利宣言をしたとかいう解釈になります。そんなことが必要でしょうか?

ケールッソーとは

従わなかった霊とは、ノアが箱舟を作っている時代に生きていた人々のことです。
彼らは神が、全て滅ぼしてしまおう!と思われるほど堕落しきっていた人々です。その当時最低最悪最凶だった人々なのです。そんな人たちに福音が告げ知らされ、その後、イエスを知らずに死んだ人たちは置き去りになるでしょうか?
そんなことはないと思います。

④サタンのすべての支配と権威と武装を解除する為

私たちは自分の罪の為に、返すことのできない程の借金にまみれていました。罪の借金地獄にいたのです。
そして、その為に死の恐怖にも繋がれていました。そこから解放して下さるために、ハデースへ行って下さいました。

サタンを無力化され、更に戦利品を持って行かれたのですが、この戦利品は間違ってもサタンや堕天使、悪霊どもではありませんので誤解しないで下さい。
彼らはゲエンナへ行くことが既に決まっています。天の御国への戦利品にはなり得ません。

そして更に、アダムに渡されていた筈の、いわば「地球の権利書」を取り返されました。
これはこの地上を支配して管理するように渡されていたものですが、罪の為にサタンに奪われていたのです。マタイ4章を読むと、既にサタンがこの地上の権利を持っていることが分かります。

イエスが荒野で誘惑を受けた、この時点ではサタンがこの世のすべてを持ってることが分かります。
しかしマタイの最後、28章では、イエスにいっさいの権利が与えられていることを知るのです。イエスに権威が返りました!

⑤ハデースで救われた者たちを天に引き上げる為

ハデスからの解放!

エペソ4:8では、イエスが天へあがられた時、「多くの捕虜」を連れて行かれたとあります。この捕虜とは誰でしょうか?
天へ上がられたのですからサタン、堕天使、悪霊どもではない事は明らかです。
アブラハムの懐にいた霊魂は、「捕虜」とは言いません、敵側に捕らわれている者たちが捕虜なのです。

とすると…天に上がられた時に連れて行かれたのは、ハデースで良いものを掴んだ、つまり救いを受けた霊魂たちなのです。

啓示録(黙示録)1:16-17を見ると、現在死とハデスの権限は、イエス・キリストが持っていることが分かります。
最悪の事例からの救いを見ると、神の救いがいかに大きく、誰にでも開かれているか驚かれると思います。

従わなかった人々、とは「信頼せず、逆に意地悪く従わない」という意味があります。
こんな人たちにも福音が届けられ、信じた人は天に上げられたのです。
彼らが救われたとするならば(バラバがどうなったかは分かりませんが)、既に亡くなられた他の人たちが救われない、という事があるでしょうか?
ましてや、「聞かなかった」と弁解出来ないと聖書にはあります。
皆が福音を聞くのです。そして、聞いて信じる者は救われます。

死んだ後でもいいや、と思わないで下さい。
あなたは、私は、ハデースへ少しでも行く必要はありませんし、福音をこの地上で聞く機会のある方は、、イエスの側かそうでないか、信頼するのかそうでないのかを決断する責任があります
イエス・キリストの救いを是非受け取って下さい。

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