4月26日:先が見えないけれど、平安がある!

メッセージ

この後どうなるのですか?」と現実に起こっていることに関して、聖書はどのように言っているのかと問われて、聖書預言から、世界の国々がこれからどうなるかをお伝えしました。すると「その先はどうなるのですか?」とさらに問われて、言葉に詰まってしまいました。しかし、その後祈り求めながら、その答えが与えられました。
たとえ未来が見えなくても、私たちは少しも不安を抱える必要はありません。いろいろ大変なことが待ち受けていて、そこに突入する可能性もあるでしょうが、「安心と平安」が心を占めています。そうなれます!

教会とは

まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。
二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。

マタイの福音書18:19~20
マタイの福音書18章19節~20節

ここで”教会”と訳されているギリシャ語”エクレーシア”は、立派な教会堂のことを指しているのではありません。集まる人の中(中心)に、イエス様はいて下さり、つまりそれが”教会”と訳された“集まり”なのです。
エクレーシアの最小単位は2人です。この地球上で2人以上がイエスの名の元に集まること、それが大事です。

ともしび

あなたのみことばは、私の足のともしび 私の道の光です。

詩篇119:105

ともしびとは何でしょうか?遠くを照らし出すようなサーチライトではありません。
一歩を踏み出すと、そのまた一歩先を照らしてくれる仄かな光です。それは、聖書のみ言葉そのものではないでしょうか。

Ⅰコリント13:10/Ⅱペテロ1:19

Ⅰコリント13:10に書かれている”不完全なもの”とは、予言や異言のことではないでしょうか?完全なものが現れたら、これらは廃れていきます。
Ⅱペテロ1:19では、ペテロはどんな奇跡的な体験よりも、さらに確かなもの、つまり聖書の預言の方が良いと言っています。経験に頼るよりも、み言葉に頼って行きましょう。

なぜ聖書には、先が書かれていなのか?!

預言に登場しない国も沢山あります。知りたいのに答えがない!それは・・・その先がないからではないでしょうか?
世の終わりは「人類滅亡」ではないのです。この世は核爆弾が落ちたりして、メチャクチャになったりしません。AIによる統治はあるかも知れません、しかしその先の人類史が書かれていないということは、つまりそこまでしかないのです。

エレミヤ33:3

『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』

エレミヤ33:3

私たちは個人的に聞いて良いのです、個人的に示されるのです。ですから聞きましょう!
困難の中での助けを、解決を、答えを、進むべき道を、神のみ心を。イエスに従う者には光があります。

万物の創造者の本質は、愛

神は愛

愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。

Ⅰヨハネ4:8
神は愛、である証拠!

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

ヨハネ3:16

これは聖書の最高峰!とも言えるみ言葉です。先行する神の愛と犠牲を実に明確に、私たちに教えてくれています。

しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちにたいするご自分の愛を明らかにしておられます。

ローマ5:8

神からの愛は能動的であり、また一方的な愛でもあります。これからは2つの世界へ分かれていくのでしょう、つまり、神を信じる人たち、神から離れて行く人たち・・・。

私たちにできること

愛の実践

愛のない人に、愛を知らない人に愛を実行することは出来ません。神は私たちに、既に溢れんばかりの愛を与えて下さっています。神の愛をまず頂きましょう!
その愛を持って、互いに愛し合う実践ができるのです。
新型コロナでのロックダウンで、孤立と隔離をされると人は精神的に死に至ります。私たちの周りに孤立している人はいないでしょうか?

ヨハネ14:27

わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのとは同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。

ヨハネ14:27

イエス様が与えて下さる比類なき愛を頂きましょう!そして、その愛を持って互いに愛し合うことを実践しましょう!!

※詳しい動画と音声はこちらより。パスワードは webcha です。

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