1月19日:追求すべきいつまでも残るもの-最高の聖霊の賜物-

メッセージ

私たちが努力のすえに獲得したとしても、やがてなくなってしまうものがほとんどです。残るものは三つだけだそうです。
いろいろな肩書きも地位も名誉も財産も、いつまでも残るものではありません。そして、追求すべきものは、一つです。意外なことに信仰ではありません。
まもなくイエス様と直接お会いする時が来ます。その時も、その後も、そして、永遠に残るものは? I コリント12:30~14:1より学びます。

こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。(Ⅰコリント13:13)

信頼とは・・・イエスは「カラシ種ほどの信仰があれば十分」と言われた。
信仰とは・・・熱心に追い求めるもの、増して下さい!とお願いするもの。それは熱さ?深さ?厚さ?強さ?歴史?いいえ・・・。

信頼が必要なのです!

『愛がなければ』

13章1節~3節/「愛がなければ」が3回も書かれています。
アガペーは、愛する主体(愛する方)が、「あなたはかけがえがない」と決めること。イエス・キリストの故に、「あなたは高価で尊い」のです。

あなたがたは、よりすぐれた賜物(カリスマ)を熱心に求めなさい。(Ⅰコリント12:31)

注意しなければならなのは、行い重視になり、”~すべき”の奴隷になってしまうことです。「何が出来ますか?」が先に立ってはいけないのです。
コリントの教会も、賜物重視の教会でした。しかし、愛がなければ何の価値もない!とパウロは書きました。

『最高の賜物は”愛”』

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。(Ⅰコリント13:4~7)

ここはよく結婚式などで読まれる箇所です。実はこれは、問題だらけだったコリントのクリスチャン宛てに書かれた勧めでした。コリントの教会には人間的なエゴが渦巻いていたのです。

『愛の意外性』

①寛容→A怒りを伸ばす。辛抱強くする B耐え忍ぶ C寛容である
パウロは愛を15の動詞で表しました。実際に行動を起こしているのではなく、これは「心の行動」なのです。
③ねたまない→嫉妬で心を苛立たせない。
④自慢せず→虚栄、見栄を張らない
⑤高慢にならない→高ぶらない
⑥礼儀に反することをせず→横柄にならない、いばらない
⑦自分の利益を求めない→自分の利益に固守しない、利己的でない、自己中心でない
⑧苛立たずに→怒りっぽくない、うらみを抱かない
⑨人のした悪を思わない→不当な扱いも意に介さない ex)悪を”思わない”というのは、赦す・赦さない以前の行動!
⑩不正、不義を喜ばないで
⑪真理、正義を喜ぶ

愛は、何かをする事ではなく、しないこと?
心の有り様、セルフコントロール、自制ではないのでしょうか。

更に、Ⅰコリント13:7には「すべて」が全てについています。

⑫すべてを耐え→覆う、という動詞です
⑬すべてを信じ→ピステウオー(ギリシャ語)とは、信頼するという意味です
⑭すべてを望み→エルピゾー(ギリシャ語)は期待する、という意味。
⑮すべてを忍びます→堅く踏み止まる、という意味。


私たちがする前に、私たちがこのすべてを体験しなくては!神さまが私たちにして下さった”愛”が土台なのです。

こういうわけで、いつまでも残るのは信仰(ピスティス:信頼)と希望(エルピィス:期待)と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。(Ⅰコリント13:13)

愛を追い求めなさい(Ⅰコリント14:Ⅰ)

神と人との信頼関係、聖霊との人格関係が大切です。たがいに愛しあうエクレーシアで、愛を追求し続けましょう!

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