9月22日:Break every chain. 4「罪と罪責感の呪いからの解放と祝福へ」

メッセージ

それでも祝福に進める人と呪いに留まる人との分かれ目はなんでしょうか?

ヤコブ1:13~15より/神は誰も誘惑されません。私たちは自分の内に欲が無いと誘惑されないのです。(欲→罪→死)

Ⅱサムエル記11章より/ダビデは”夕暮れ時”に起き、そして自ら”自発的に”水浴びを覗きに行ったのではありませんか?!私たちにも日常の生活の中で、ふいに目に飛び込んでくる誘惑が多くあります。それ自体は仕方のないことです。しかし、直ぐに目を背けられるかどうか・・・。

ガラテヤ6:8より/自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り~、これは因果応報の話をしているのではありません。次に続く『御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。』とあるように、私たちは御霊に蒔かなければならないということを言っています。

1:絶えず目を覚ましていなさい(エペソ6:18)・・・絶頂期には心に隙が出来ます。霊的に鈍くなっていると神様との関係が持てません。

2:誘惑に対処しましょう・・・誘惑は生きている以上避けられません。誘惑の”火矢”を消しましょう。直ぐに捨てましょう。

3:(ダビデに見る)赦しのプロセス・・・①神は見ておられる ②罪を口で言い表す ③神のあわれみと救いを求める(詩編51章) ④主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない!

4:罪を隠すと呪いに留まる(箴言28:12)・・・神様に告白すると赦されますが、隠せば呪いになってしまいます。罪を告白し、捨てること。

5:罪の刈り取り・・・(詩編51:17、詩篇51:7)ダビデはイエスをまだ知りませんので、こう祈りました。

6:罪の言い表しと赦し(詩編51:3~4)・・・言い表すというのは、神様に同意するということです。そして神様はイザヤ書43:25を答えとされます。

『わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。』

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