再臨の時がスタンバイしている現在、不安を抱えておられる方もいるようです。
イエス・キリストが「 決して天の御国(天国、神の国)に入れません。」「律法学者もパリサイ人」も入れないと言われる。その真意を聖書から共に学び合い、安心して再臨/携挙を迎えられますように!
前回の訂正(音声・動画のみ)
Seventh Day Adventist(SDA)の分派について、間違った紹介がありました。以下の図をご覧ください。
日本にはSOSTV JAPANが動画サイトなどを使ってさかんに活動しています。一見そうと分かりにくいですのでお気を付け下さい。
”惑わし”とは何か
イエスは「人に惑わされないように」と言われました。これは新約時代から現代、そして艱難時代に至るまで起こった、起こる問題で前兆ではないのです。常に厳重に注意しておかなければならない問題です。
※上図のマタイ5:22は、マタイ24:5です。
わたしの名を名乗る者が大勢現れ、「私こそキリストだ」と言って、多くの人を惑わします。
マタイ24:5
これはどういうことでしょうか?「私こそキリストだ!」と言う偽キリストが、沢山出て来るということでしょうか??
英語では”For many will come in My name,saying “I am the Christ,” and will deceive many.”となっています。
ギリシャ語も調べてみました。すると・・・。
「多くの者が”in His name”彼の名において現れ、私=イエスがキリストだ。と言いながら多くの者を惑わす」という意味でした。なんと多くの人が、真実(イエスはキリストだ)を混ぜながら、騙すのだと言われていたのです!
セブンスで・アドベンチストの例を挙げて見てみましょう。
セブンスデー・アドベンチスト(SDA)の場合
このカルト団体はキリスト教、プロテスタントの一派と紹介されていますがとんでもないことです。
1863年に創設され、偽預言者、エレン・ホワイトの目を通した聖書解釈がされています。これは異端の特徴です。
1800年代前半に北米で起こった再臨待望のムーブメントは、ウィリアム・ミラーの預言が当たらず大失敗に終わりましたが、この際一緒に追放されたエレン・ホワイトは、この啓示の何が間違っていたかを研究しました。そして「啓示の証言」と、新たな聖書解釈を元に「第7日安息日の遵守とキリストの再臨とは深く結びついている」と解釈していったのです。
人間キリスト・イエスは全能の主なる神ではなかった、としています。これは異端の考えですが、現在は2000万人以上の人が騙されています。
末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)
キリスト教系の新宗教と紹介されています。
1830年4月6日、ジョセフ・スミス・ジュニアによって創設されました。これも異端の特徴ですが、自分たちの書物『モルモン書』『モルモン経』を聖書と同等かそれ以上として扱っています。
モルモン教の四つの聖典は『聖書』、『モルモン書』、『教義と制約』、『高価な真珠』なのです。
彼らの名称は、古代アメリカ大陸に住み当時の民の歴史を記録し、要約したと信じられている預言者、モルモンの名前をとっています。
”聖書は神の言葉が書かれていたのだが、堕落したキリスト教会が内容を改ざんじたり、削除してしまい不完全になった。それに反して『モルモン書』には完全な神の言葉が書かれている”としています。
キリスト教のように見えますが、三位一体を否定し、歴代教祖の言葉も神の言葉として扱います。
最も大事な教義は今では成文化されていませんが、それは男性信者は来世で神となるというものです。ちなみに女性信者は神にはなれず神の妻になります。(モルモンの神は一夫多妻)
宗教というよりオカルトでしょう。
エホバの証人
エホバの証人の法的組織が「ものみの塔聖書冊子協会」です。
聖書に書いてある「永遠の刑罰」(マタイ25:46)を恐れて教会を去ったチャールズ・T・ラッセルは、1.地獄はない 2.永遠の刑罰はない 3.イエスは神ではないという説を立てました。
セブンスデー・アドベンチストの本の中の「地獄というのは墓にすぎない」という部分を借用した教義は、全体的にSDAに似ています。
1950年には、第三代会長ネイサン・H・ノアと4人の指導者による『新世界訳聖書』が刊行されました。
現在、図のように「統治体」と呼ばれる組織が最高責任機関です。1914年にイエスは空中に再臨され、この時に生きていたエホバの証人で「十四万四千人」は満ちたと教えます。
他にも聖書にはない区別を使って、天上級とか地上級とかで人を区別しています。
サタン側の階級付ととても似ている階級です。
偽預言者への厳しい裁き
この箇所は、クリスチャンではなく偽預言者、偽教師たちに向けて書かれています。
「わたしから離れていけ!」というのは1番厳しい言葉ですね。裁きとは、イエス様から切り離されてゲヘナへ行くということなのです。
最近はセブンスデーの牧師の中から、聖書を読むうちに救われる人も出て来たようです。
警告であり決定ではない
偽教師たちに向けて語られたこれらは、決定ではなく警告です。
彼らも立ち返るなら救われるのです。「だから」とイエス様は言われました。
昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
マタイ5:21
殺してはならない。
出エジプト記20:13
出エジプト記に書かれた”殺す”はヘブル語で「ラーツァハ」(רָצַח)といい、前もって計画された殺人・謀殺のことをさします。それに対して「ハーラグ」(הָרַג)という言葉は正当防衛、戦争における殺人、事故などです。
旧約+バビロンの文化や宗教のミックスが現在のユダヤ教です。バビロニア・タルムード(口伝律法)もこれに追加されています。これには、罪も議会で赦されるかも・・・という含みがあるのです。
殺すな、の真意
しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に理由もなく「ばか者」と言う者は最高法院でさばかれます。「愚か者」と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。
マタイ5:22
この”理由もなく”が原語だと入っています。これも警告です。
言葉による精神的ダメージは謀殺なのです。ハデスではなくゲヘナですので、最上級の裁きです。
ですから(だから)、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物をしなさい。
マタイ5:23~24
天国に入れる神の基準『義』は?
わたしはあなたがたに言います。あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。
マタイ5:20
当時パリサイ人たちは6000人ほどいたと言われています。彼らは日々祈り、学び、断食をし、献金をし、沢山の功徳を積んでいました。
このようなパリサイ人たちにも勝るほどの義とは、どういうものでしょうか?!
神の義については、ローマ人への手紙3:20~28に書いてあります。
イエス・キリストの信仰による義が、「神の義」です。決して自分の信仰ではないのです。行いを以て完成するのでもありません。
義とされるのは、あくまでも信仰=信頼によります。
信頼の法則
皆さんは椅子に座るとき、100%体重を掛けて座ると思います。90%・・いや、80%だけ体重を掛けて、あとは自分で支えているというような人はいませんね?それは椅子に100%の信頼をおいているからです。
信仰=信頼も同じです。100%か0%。
薄い、厚い、浅い、深いは関係ありません。
イエス様、あなたにお願いします!というのが基準なのです。
※詳しい音声と動画はこちらより。パスワードは webcha です。
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