7月12日:聖書的瞑想の勧め2

メッセージ

聖書が勧める瞑想2 「自分の心で語り合う
私たちが抱えるどうすることもない過去や、心の深い傷について、また、罪という難題について聖書の回答をいただきましょう。

トラウマ理論というすでに科学的に否定されたものが未だに行われている日本で、催眠療法や、PTSD、心的外傷など、まちがった影響下にないでしょうか。それらは聖書が教えていない真逆の考えです。
聖書が勧める真理は、「過去からの解放です!」

自分の心で語り合う

スィーアッハ

前回お話しした聖書的瞑想で、『思い起こす』という意味のヘブライ語”ザーカル”がありました。
私たちは過去へ感謝し、歴史的に介入して下さる神を思い起こし、イエス・キリストの再臨を待ち望み、これまでの沢山の主の御わざから主を知るということが出来ます。

しかしこの、”思い起こす”を良くない方向へ進めてしまった結果、以前アメリカで、そして現在日本でも大変なことが起こっているのです。

心的外傷と回復 in アメリカ

90年代の記憶戦争

『心的外傷と回復』という本がアメリカの精神科医ジュディス・ハーマンによって書かれました。この本は「トラウマ問題はすべての私たちの問題である」とし、その諸相と治療への道が具体的に書かれています。日本で紹介された時は、“バイブル”とまで呼ばれました。
しかし、彼女の主張したトラウマ理論は、1980年代から90年代にかけてアメリカ社会に大混乱を引き起こしました。

具体的には、トラウマを抱える患者に記憶回復療法を施し、抑圧されたトラウマ体験を思い出させるのですが、その記憶によって「被害者」が「加害者」である親を訴える刑事裁判や民事訴訟が多発したのです。

その後、認知心理学者のエリザベス・ロフタスが「記憶はつくりだせる」という反論を発表しました。以降、各地の裁判所が「蘇った記憶」による告発を却下するようになり、増えつづけた訴訟はようやく激減したのです。

詳しくはエリザベス・ロフタス、キャサリン・ケッチャム共著『抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって』(1994年出版。日本では2000年)、矢幡洋著『危ない精神分析―マインドハッカーたちの詐術』等を参照ください。

心的外傷と回復 in 日本

遅れている日本のトラウマ療法

『心的外傷と回復』が日本で翻訳されたのが1996年です。アメリカ精神医学会が「記憶回復療法の論争は死んだ」と宣言、1997年にはこの「記憶戦争」がほぼ決着、ハーマン側の敗北となったのと逆行するように、日本で一躍脚光を浴びたのです。

その他日本では前世療法なども流行りました。あるのか無いのか分からない前世を持ち出してクライアントに偽の記憶を植え付け、意図的に誘導し、また意図せずに偽の記憶を植え付ける可能性も大いにあったのです。

前世療法もトラウマ理論も、トンデモ理論として、本家アメリカでは既に否定されているにもかかわらず、日本ではテレビ、漫画などのエンターテインメントの世界で今でも多用されています。

『自分の心』と語り合う

辛い過去の経験、忘れてしまいたい、あるいは忘れていた被害、虐待、絶望感・・・そういったものに自分の心を向きあわせることが、トンデモ科学の勧める治療法です。

自分の過去から逃げるの?トラウマを敢えて思い出して乗り越えましょう!なんて理論はもう古いのです。
そんなことをしても、苦痛は消えるばかりか更に激しさを増すのではないでしょうか?!消えていた苦痛まで呼び起こしてしまいます。

『真の理解者』と語り合う

私たちの真の理解者は誰でしょうか?
その方は33年半という人生を人のために捧げ尽くしました。それなのに人には完全に見捨てられ、孤独の中で身も心も拷問と虐待、辱めを受けられました。信頼していた友からの裏切りも経験しました。
そして更に、誰も体験したことのない、神からの報復と刑罰をも受けられたのです。

その理解者とは、イエス・キリストです。

瞑想:スィーアッハ

聖書的瞑想とは

あえて”瞑想”という言葉を使っていますが、もし私たちが瞑想をするならば、それは神の約束のことばが土台とならなければなりません。

私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。
信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。

へブル:12:1~2
過去からの解放

あなたが被害者であるなら、あえて過去を思い出す必要は一切ありません。一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、と聖書にあります。
目を離さないで、と書いてあるのは『他のすべてを見ない』ということであり、またこれはイエス・キリストだけを見続けるということなのです。

思い出さないことへの、主の強い意志!

罪を思い出されない主

イザヤ書43:25では、主は”わたし自身”のために、もう罪を思い出さないとあります。へブル10:16~17でも、罪と不法を思い起こさないと繰り返されます。

日々新たにされていく

私たちが変えられていくのは聖霊の働きによります。何かを頑張ったり、カウンセリングを受けたり、瞑想をしたりする努力によって変わるのではないのです。
キリストの内にある(=着ている)なら、毎日毎日が新しく(=質的に)造られた者(被造物)にされています。

聖書的瞑想のまとめ

まとめ

聖書的に瞑想するには・・・

①真の理解者であり、すべてを体験された方、イエス・キリストと共に神と向き合いましょう。
②イエス・キリストが真のカウンセラーです。
③今まで出た、沢山の約束の御ことばの土台に立ちましょう。
④過去から解放されることです。後ろを振り返ってはいけません。
⑤イエスから目を離さないでいましょう!
⑥御ことばと聖霊に同意しましょう。

今回はあえて、”瞑想”という言葉を使いました。世界的なヨガ、瞑想ブームだからです。
頭も心も空っぽにする、危険な瞑想から離れて、聖書が勧める安全で効果的な瞑想に切り替えてみませんか。

※詳しい動画と音声はこちらより。パスワードは webcha です。

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