12月12日:心を痛める神②-アダムと私たち-

メッセージ

天地万物を創られた神の心を、絶えず痛めつけてきた人間、しかし、アダム以来勘違いさせられていたこと、間違って、聖書が訳され、誤解されてきたこと、そして、隠されてきた真理があります。

現在もアダムの時から始まっているサタンの陰謀は続いているのです。
しかし、神の愛と義と主権は変わりません。ともに学べる機会がなくなる前に、ご一緒に聖書を開いて学んでみましょう!

神の愛は変わらない

前回もお話ししました。
Ⅱコリント11:3によると、あの這うもの(サタン)がエバやアダムを誘惑し、その結果私たちに罪、死が入り込みました。
そのサタンが私たちに植え付けているのが、『堕落した罪人、ダメ人間、更生が必要、もう取り返しがつかない』というような負のイメージです。

でも、エバもアダムも誘惑されるという間違いを犯しただけです。
そしてそれによって『死という病』に罹ってしまっただけです。

マルコ2:17でイエスは言われました。医者を必要とするのは病人ですと。
私たち病に罹ったものを治して下さるために、イエスは来てくださいました。回復されるのです!

神の最高傑作のまま

三位一体の神は、創世記で言われました。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。(創世記1:26)」
われわれとは、複合単数形(複数の主語を単数の動詞で)で受ける至高の神、三位一体の神のことです。その交わりの中に私たちも招かれるように、造られたのです。

皆さん、汚れただけでダイヤモンドを捨てるでしょうか?
捨てませんよね、汚れたら汚れを拭き取ればよいのです。

『悔い改めよ』という言葉はサタンが使うイメージ、陰謀です。
これは前回もお話ししたように間違っています。
180度向きを変えて、神に立ちかえる、そういう意味なのです。

神との関係が絶たれた、死という病に罹った私たちすべてはⅡペテロ3:9bによると、神に立ち返るようにと望まれています。

死は正常な状態ではない

旧約聖書の登場人物は長生きです。969年も生きたりします!
でも、神様にとっては「えっ、969歳で死んじゃったの?」というとてもショックな状態なのです。

私たちは、死ぬのが当たり前、自然の摂理、寿命がすべてだと思っていませんか?
でも神様が私たちを造られた時には、永遠の神と交流できるように、神の愛の中に生きるように造られたのですから、もっと神に近い存在だったと思います。
死はなかった永遠に生きるものだったのです。

そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。
そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた、それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。

創世記3:6~8

人間はサタンに騙され、神に心を閉ざしてしまいました。

・神の栄光を失う→惨めさを味わう。栄光を失った体。
・神を愛し敬う→恐れ、身を隠した。
・神から与えられた自由意志→サタンの支配下になり、いいなりとなる。
・神のようになるというウソ→善か悪の判断を自分で下していく、というのは自分が神となることです。
・神の主権を奪った→動物やサタンの言いなりになってしまった。

ヤハウェからの呼びかけ

創世記3:9で神は「あなたはどこにいるのか」と呼びかけられます。これはただ単に場所の事だけを聞いているのではありません。
あなたの”心”はどこにありますか?と聞かれているのです。
さらに11節で「あなたは食べたのか」と聞かれていますが、読むと気づくのは「なぜ食べたのですか」という理由は聞かれていないことです。

アダムは言い訳しました。「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、・・・」イブも言い訳しました「ナチャーシュが私を惑わしたのです。・・・」
この中には『なぜサタンが野放しになっているんですか?!』という神への非難が隠れていないでしょうか?『善悪の知識の木などなければ良かったのに』という非難もあるのではないでしょうか?

そこにこの非難の持っていき方は違います。
神は人間を引っ掛けようとして木を置いたわけではありません。失敗しても良いのです、そこからアダムとイブの学びが始まるのですから。
私たちが何故?と聞くのは全て責任転嫁です。
そこにサタンがいようがいまいが、木があろうが無かろうが関係ありません。
食べること、食べないこと、つまり主に従う事は、私たちの選択なのです。

ここに創造主ヤハウェの心痛をみます。

神の方からの回復

神との関係は断たれました。
神に似せて作られた、私たちの形は失われました。

人の失敗と罪の償いを、主は考えてくださいました。

さて、人は、その妻の名をエバと呼んだ。それは、彼女がすべて生きているものの母であったからである。
神であるヤハウェは、アダムとその妻のために、皮の衣を作り彼らに着せてくださった。

創世記3:20~21

ローマ人への手紙には『主イエス・キリストを着なさい』とあります(ローマ13:14)
イエスの義私たちに転嫁されるのです。

わ罪が許されただけでは、まだ完全な救いではありません!
神が作ってくださった衣を着る事、私たちがイエス・キリストを着るということが必要なのです。
着る、という字は「羊」の下に自分がいます。絶えずイエス・キリストを着続けていることが大事です。

隠されていた真理、七転び八起き

正しい者は七たび倒れても、また起き上がるからだ。悪者はつまずいて滅びる。

箴言24:16

正しい者とは、人間性において正しいのではなく、神との関係性が正しいということです。
関係性が正しければ、何度倒れても起き上がることができます。7度とは、何回でもという比喩ですから。

失敗しても、倒れても、躓いても良いのです。

幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。
主は天と地と海とその中のいっさいを造った方。とこしえまでも真実を守り、
しいたげられる者のためにさばきを行い、飢えた者にパンを与える方。主は捕らわれ人を解放される。
主は盲人の目をあけ、主はかがんでいる者を起こされる。主は正しい者を愛し、
主は在留異国人を守り、みなしごとやもめをささえられる。しかし主は悪者の道を曲げられる。
主は、とこしえまでも統べ治められる。シオンよ。あなたの神は代々にいます。
ハレルヤ。

詩編146:5~10

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