8月8日:聖書が示す死後の世界2/ハデス

メッセージ

ハデスとは

ヘブライ語では”シェオール”と呼ばれる死後の世界、ギリシャ語では”ハデス”と呼ばれています。
ここは、
①黄泉でも陰府でも地獄でもありません。
②天国ではありません。
③全ての死者の行く場所でした。
④地の下にあります。(創世記37:35、詩篇88:3-4、Ⅰサムエル28:14等より)

私たちの死んだあと、どうなるのでしょうか?
聖書には明確に書かれています。無ではありませんし、単純に皆が天国か地獄へ行くというのでもないのです。

ルカに書かれる死後の世界

ルカ16章に書かれている死後の世界

ハデス(シェオール)の中でも、『アブラハムのふところ』と呼ばれる場所は、イエスが昇天される前までです。
イエスが十字架で私たちの罪を贖って下さった、それに信頼している人たちは、もし今亡くなったとしたら『アブラハムのふところ』ではなく、天国へ行きます。

この話が書かれた時代、まだ『アブラハムのふところ』はあり、「ハデスの苦しみの場」とは越えられない大きな淵、ギャップがあったようです。

 そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えてくることもできないのです。』

ルカ16:26

現代の地下掘削

地球の深さを人に例えると・・・?!

世界最大深度で掘っているロシア、凄いと思いますが、これでも地球の深さを人間の体に例えると、人の髪の毛あたりの深さなのです。
ドイツはエベレスト並、日本のさいたま市は大体富士山位の深度ですね。

聖書によると、人は大審判の前に地の下で苦しむとあります。
ルカ16章にある金持ちとラザロの話しは、この世界の縮図の様です。

そしてこの話からは、死後の体や霊魂、記憶等の状態も分かります。

死んでも体があるように、苦しみを”感じている”ことが分かるでしょうか?!
・目がある:見上げる、見る
・肉体の存在:ふところ、という表現はすぐそばに、という意味です。
・脳の存在:金持ちは思考しています。
・顔がある:お互いを認識できています。顔があるのでしょう。
・口で話している:金持ちは”叫んで”います。口で叫んでいるのです。
・指がある:水を浸してほしいと頼んだのは、ラザロの指です。
・感覚がある:暑い、苦しいという感覚や、更に「あわれんで欲しい!」という心もあることが分かる。

これらをすべて持っているのが「霊体(霊魂の体)」です。
パソコンは、HDDにメモリーを移すことが出来ます。同じように、私たちの体を霊魂が使っている状態なので、不思議と思われるかも知れませんが、全盲の人でも臨死体験をすると『見る』のです。

金持ちはなぜハデスに行ったのか

聖書によると、唯一問われていることは「あわれみを怠った」ことでしょう。
金持ちは”何もしていなかった”ことを反省したのです。死後は、自分ではどうにも出来ないのですから。

ハマルテーマ

この『ハマルテーマ』という言葉は、間違い、罪、罪の行為、神の法に対する不従順の行為という意味です。マルコの福音書3:28では複数形の「ハマルテーマタ」として使われています。

聖書で最もよく使われている「罪」はこのハマルティアです。
「罪」という訳が誤解を与えているのではないか…とも思われる言葉です。これは、悪い事でもなければ、犯罪でも、刑法上の罪の事でもありません

「罪」と訳されてしまったこの言葉は、「罪の原理、質」「神の御心のど真ん中から外れること」を指すのです。
神の御心のど真ん中・・・とは、すなわち「愛」ですね。

金持ちの願い

>ラザロを私の父の家に送ってください。
これが金持ちの願いでした。

私たちの霊魂は、体内で受精したと同時に与えられました。その前には存在していません。
万物も天使も始まりがあります。恐らく創造の6日間の初期に造られたのでしょう。その証拠に、天使も悪魔も時空(時間と空間)を越えられません。

そこで聖書が言うのは、自分の魂の責任は、自分で取る、という事です。

ハデスに行った理由

左右を見比べてみてください。
ハデスに行ってしまったのは自分の責任です。そこで金持ちは自分の兄弟だけでも・・と思うのですが。

その兄弟たちに>よく言い聞かせてください。と願ったところ、アブラハムはこう答えました。
モーセと預言書、これは旧約聖書の事です。彼らにはもう旧約聖書があるのです。これに耳を傾けないのなら、誰かが死人の中から生き返って伝えに来たとしても、聞き入れないでしょう。

今、生きているときに福音を聞き、その祝福を受け入れるチャンスです!

※より詳しい音声と動画はyoutubeでどうぞ。

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