安息日に”たきぎ”を集めた男
イスラエル人が荒野にいたとき、安息日に、たきぎを集めている男を見つけた。
民数記15:32-36
たきぎを集めているのを見つけた者たちは、その者をモーセとアロンおよび全会衆のところに連れて来た。
しかし彼をどうすべきか、はっきりと示されていなかったので、その者を監禁しておいた。
すると、主はモーセに言われた。「この者は必ず殺されなければならない。全会衆は宿営の外で、彼を石で打ち殺さなければならない。」
そこで、主がモーセに命じられたように、全会衆はその者を宿営の外に連れ出し、彼を石で打ち殺した。
これは旧約聖書の時代、罪を犯した者がどう取り扱われるか…という例とも言えます。罪と言っても2種類あります。
①不注意、うっかり:これは赦されました。赦される方法は民数記15:27-29にあるように、いけにえを捧げなければなりません。
もし個人があやまって罪を犯したなら、一歳の雌やぎ一頭を罪のためのいけにえとしてささげなければならない。
民数記15:27-29
祭司はあやまって罪を犯した者のために、主の前で贖いをしなければならない。彼はあやまって罪を犯したのであるから、彼の贖いをすれば、その者は赦される。
②故意、わざと:民数記の15:30によれば、こうした者は民の中から取り除かれなければならないという事です。
国に生まれた者でも、在留異国人でも、故意に罪を犯す者は、主を冒涜する者であって、その者は民の間から断たれなければならない。
民数記15:30-31
主のことばを侮り、その命令を破ったなら、必ず断ち切られ、その咎を負う。」
厳しいと思いますが、故意に神を冒涜する行為というのはヘブライ語の直訳では『高く上げた手』と言います。
公然と神の逆らって行くという印象でしょうか。
この「安息日に薪を集めた男」は、この戒めの書いてある、すぐ次の節に書いてある話です。それだけ厳粛な警告と取れます。
更にこの男は、「罪のいけにえ」を持ってくることもしませんでした。拘留されていた期間に、神に赦しを請う事さえしなかったのです。私なら、あなたなら、安息日に薪がないという不測の事態に陥ったらどうするでしょうか?
どうしてもその日の分さえないのであれば、親戚に、友人に、隣人に分けて貰うことは出来なかったでしょうか。
薪が当日、突然無くなることは考えられません。通常余裕を持って集めておくものですから、この男は悪いと知りながら働いたのです。
全き休みの安息(シャバットシャバトーン)
六日間は仕事をしてもよい。しかし七日目は全き休みの安息、聖なる会合の日である。あなたがたは、いっさいの仕事をしてはならない。この日はあなたがたがどこに住んでいても主の安息日である。
レビ23:3
ヨハネ1:17や、ローマ人への手紙6:14を読みますと、イエスが私たちを律法から解放して下さったことが分かります。更に使徒15:29にある第一回エルサレム会議で、安息日からも解放されたことが宣言されました。
安息日を守るというのは、神に信頼するということなのです。
その日の糧を自力でどうにかする!のではなく、主に委ねることが出来るかどうか・・・が問われているのではなかったでしょうか。
新約聖書時代の、”赦されない”罪
まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。
マルコ3:28-29
しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」
聖霊を汚す、冒涜することは赦されない罪だとあります。
誰も聖霊によらなければ、イエスは主ですと告白は出来ません。ということは聖霊を汚すというのは、イエス・キリストの十字架の血潮の救いを拒むことに他ならないのです。
もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。
ヘブル10:26
罪のためのいけにえ、というのはイエス・キリストの事です。
十字架の救いを無視する!というのが最大の罪なのです。それを無視したら、救いの方法はもはや残っていません。
ここを読むと、神が罪に対して厳しい裁きを下されるということが分かります。
”ことさらに”罪を犯しているかどうか、自己点検してみましょう
神の安息に入れなかった人々
イスラエルの丸々一世代が、エジプトを脱出し(救われた)、約束の地(神の安息)に招かれたにもかかわらず、そこに入れませんでした。
入れたのは主に従い通した2人、ヨシュアとカレブだけでした。
救われたにもかかわらず、神の安息に入ろうとしない人がいるのではないでしょうか?
私たちは、もう自力で薪を集める必要もありません!
何もしないで、時を待てば良いのです。休んで良いのですし、敢えて何もしなくても大丈夫です。
神に信頼し、自分で義務だと思っていることを明け渡しましょう。
神と交わり、聖書を読み、祈り、神と会話するのです。
奉仕に駆り立てられることもありませんし、安息日に関する234の禁止事項も、元々決まりなど無いのです。
キリスト・イエスが与えて下さる安息に入りましょう!
また、わたしの安息に入らせないと神が誓われたのは、ほかでもない、従おうとしなかった人たちのことではありませんか。
ヘブル3:18-19(私訳)
それゆえ、彼らが安息に入れなかったのは、不信仰(不信頼)のためであったことがわかります。
主に信頼しなかったために安息に入れない人々がいます。
神の御前に、自分のワザを止めましょう。
神のマスタープランは変わらない
レビ記23章に、イスラエル人に与えられた7つの例祭が書いてあります。これには主のマスター・プランが隠されています。
まず三大祭りと言えば第一の月の14日にある「過越の祭」とそれに続く7日間の「種なしパンの祭り」、2番目に種なしパンの祭り初日から50日目に「五旬節の祭」です。
3番目の例祭は秋の祭りで、「仮庵の祭り」と、それにまつわる3つの祭りです。
春の祭り
①過越しの祭
②種なしパンの祭り
③初穂の祭り
④7週の祭り(初穂の祭りから50日後の日曜日)
秋の祭り
⑤ラッパの祭り
⑥大贖罪日(ヨム・キプール)
⑦仮庵の祭り
既に成就した祭り
仮庵の祭りはイエスの初臨によって半分実現しました。過越しの祭りから6ヶ月後の、7番目の月の第1日に行われます。
バビロン捕囚後に政治的新年になりました。
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
ヨハネ1:14
イエスが過ぎ越しの羊となられました(ノアの箱舟がアララテ山に着いたのもこの日ですね)。種無しのパン、つまりイエスが流された血潮で私たちの罪を完全に贖って下さり、死者たちの中から復活するという初穂を成就させました。
そして聖霊が下って、ペンテコステ(五旬節)も成就しました。
これらは春の祭りです。
これから来る祭り
「銀のラッパを二本作らせよ。それを打ち物作りとし、あなたはそれで会衆を召集し、また宿営を出発させなければならない。
民数記10:2
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。
Ⅰコリント15-51-52
終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
イエスの空中再臨と私たちの携挙は、ラッパと関係があります。
そして大贖罪日はイスラエルの霊的回復と関係があります。でも、その時には私たちは携挙され、地上にはいないでしょう。
神はイスラエルの例祭の中で、救いの計画を示しておられます。
最後に実現するのは、イスラエルの霊的回復がなされた時、イエスが地上まで再臨された時(地上再臨)です。それで仮庵の祭りが完全に成就するのです。
千年王国が地上に作られ、それから毎年千年間、仮庵の祭りのみが行われます。
エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。
ゼカリや14:16-18
地上の諸氏族のうち、万軍の主である王を礼拝しにエルサレムへ上って来ない氏族の上には、雨が降らない。
もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず、仮庵の祭りを祝いに上って来ない諸国の民を主が打つその災害が彼らに上る。
空中再臨と、携挙の後に・・・。
いつ携挙が起こるのか、それは分かりません。しかし既に春の例祭は成就しました(仮庵は半分ですが)。
確実に携挙が迫って来ているのは、この世界の状況を見るならば明らかです。私たちの”今”がプライズ、報いを決めるのです。
神は私たちに、救いのマスタープランを理解できるように、イスラエルの例祭を用意して下さったのでしょう。
今、主に信頼しましょう!!
※より詳しい音声と動画はこちらより。パスワードは webcha です。
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