3月7日:神の祝福を受ける秘訣-わたしの名は不思議!-

メッセージ

「聖書にこんな人物が信仰の人?!」 と読むたびにあきれてしまうのは私だけでしょうか? 

「信仰の人とはとてもとても思えない。」私の考えの狭さ?受け取り方が違い? 
この人物は、色々な面でけたはずれ、「短気、怒り、放火犯、無差別殺人犯、自爆殺人犯…」想像を超えていますが、神の祝福をいただく!?  こんな人でも良いのか!?  そして、あなたも神の祝福をいただける秘訣があるのです。

主の使いがその女に現れて、彼女に言った。「見よ。あなたは不妊で、子を産んだことがない。しかし、あなたは身ごもって男の子を産む。
今後あなたは気をつけよ。ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。
見よ。あなたは身ごもって男の子を産む。その子の頭にかみそりを当ててはならない。その子は胎内にいるときから、神に捧げられたナジル人だから。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める。」

士師記13:3~5

サムソンと名付けられた、生まれながらにナジル人とされた男がいました。
ヘブライ語での名前はשמשוןシムショーンといい、太陽の光、といった意味です。

この時代、イスラエルは神への背きの罪の故に40年間ペリシテ人に支配され、苦しめられていました。
不妊であったダン族のマノアの妻に主の使いがあらわれ、与えられたのがこのサムソンです。

ナジル人とは

民数記6章に規定が書かれています。
通常は、何か神に請願を立てたりする場合、あるいは神の任命を受けることによって、期間を定めてナジル人の誓いをするのですが、サムソンは生まれながらにナジル人でした。
ナジル人は、全ての葡萄から作られる物を口にすることが禁止されています。葡萄酒、ワイン・ビネガー、勿論生のままでも、干したものでもいけません。まだ熟していないもの、皮までも口にしてはいけないというルールがあります。
髪を切ってはいけませんので、当然サムソンも生まれてからずっと神は伸ばしっぱなしだったでしょう。
そして、死体に近づいてはいけません。たとえそれが自分の両親であっても、近づくことは出来ませんでした。

「ささげられた者」、「聖別された者」という意味があります。
ヘブル語の動詞、「聖別する」「分離する」という言葉から来ています。

忍耐の祈りをした、不妊の女たち

サラ(母)→イサク(子)、リベカ→ヤコブ、ラケル→ヨセフ、マノアの妻→サムソン、ハンナ→サムエル、エリザベツ→バプテスマのヨハネ

上記のように、聖書には不妊に悩んだ女性が沢山登場します。現代では勿論、不妊は女性だけの問題ではないことが分かっています。しかしこの時代は、一切が女性の責任だったのでしょう。
大きなストレスでもあったと思います。
しかも子孫を残せない女性は呪われているのでは?と考えられていましたから、彼女たちは、是非とも子どもを授かるように!と忍耐を以て神に祈りを捧げていたことでしょう。

忍耐の祈りを繰り返した女性たち

この様な色々な問題は、祝福に先駆けて起こるのではないか、と思います。
『ルツ記』の中で、ルツと結婚してイエス様に続く子孫を残したボアズは、母が遊女です。遊女ラハブが、そのままの自分で神に従ったことにより、大いに祝福されたのです。

家庭内トラブルも祝福へ

サムソンは、ティムナに下ったとき、ペリシテ人の娘で、ティムナにいる一人の女を見た。
彼は上って行って、父と母に告げた。「私はティムナで一人の女を見ました。ペリシテ人の娘です。今、彼女を私の妻に迎えてください。
父と母は言った。「あなたの身内の娘たちの中に、また、私の民全体の中に、女が一人もいないというのか。無割礼のペリシテ人から妻を迎えるとは。」サムソンは父に言った。「彼女を私の妻に迎えてください。彼女が気に入ったのです。」
彼の父と母は、それが主によることだとは、知らなかった。主は、ペリシテ人とことを起こす機会を、求めておられたのである。そのころ、ペリシテ人が、イスラエルを支配していた。

士師記14:1~4

サムソンは何とナジル人にも関わらず、普通のイスラエル人でもしないような結婚をしようとしています。
イスラエルの民は、同じ民族同士結婚するようにと神に命じられていました。ましてやサムソンは・・・。

でも、このサムソンの大きなワガママは主のご計画の内にありました。
一見家庭内の大問題なのですが、これがやがて大きな祝福に変わって行きました。

力の源、主の霊の体験

このとき、主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はまるで子やぎを引き裂くように、何も手に持たず獅子を引き裂いた。サムソンは自分がしたことを父にも母にも告げなかった。

師士記14:6

主の霊が激しく下った、とあります。
サムソンは主の力の故に、獅子をまるで子やぎでも引き裂くように(子やぎでも引き裂くのは大変だと思いますが)、殺してしまいました。その後この獅子の死骸に蜜がたまっているのを見つけて、両手にすくって食べるのです。

獅子を引き裂くサムソン

ナジル人は死体に近づいてもいけません、なのに彼は掟を破ったばかりか両親にさえ、そうと告げずにこの蜜を食べさせています。
こんな人でも神に祝福されるのでしょうか?!とても信じられませんね。

祈りの体験

そのとき、彼はひどく渇きを覚え、を呼び求めて言った。「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えてくださいました。しかし今、私は喉が渇いて死にそうで、無割礼の者どもの手に落ちようとしています。」
すると、神はレヒにあるくぼんだ地を裂かれたので、そこから水が出た。サムソンは水を飲んで元気を回復し、生き返った。それゆえ、その名はエン・ハ・コレと呼ばれた。それは今日もレヒにある。

士師記15:18~19

サムソンは戦って勝利しました。しかしその後、ドッと大きな疲れが来たのです。エリヤもバアルの司祭たちと戦って勝利した後、一気に弱ってしまいましたが、それと同じでしょうか。
主に祈ります。


すると主が水を下さるのですが、不思議な水の与え方をしていると思いませんか?くぼんだ所を裂かれたのです。
窪地に水が出たら、サムソンは身をかがめなければなりません。自分を低くしなければならないのです。
これは、礼拝の姿と同じではないでしょうか。

次の聖句は、サムソンがデリラのハニートラップに掛かりナジル人の秘密を話してしまい、力が無くなってしまった後です。
両目を潰され、臼に繋がれたサムソンは、見せ物のために外へ出されて神殿の柱に繋がれます。
一見、復讐のための個人的な祈りのようにも見えるのですが、サムソンはまた一心に祈るのです。

サムソンはを呼び求めて言った。「、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。私の二つの目のために、一度にペリシテ人に復讐したいのです。」

士師記16:28
神殿を倒すサムソン

サムソンは神との繋がりが必要でした。
力の源は髪の毛ではなく、神です。神との関係が大事だということが分かります。

サムソンの霊的戦い

サムソンは確かにペリシテ人と戦いましたが、ダゴンという彼らの民と霊的な戦いをしたのです。
このダゴンדָּגוֹןは、キリスト教の聖職者ヒエロニムスによって、ヘブライ語のダグ(דָּג [dag]、魚)と誤って関連させられ、下半身が魚形の海神と考えられていました。
現代では・・・どこかで目にしませんか?あの有名なコーヒーチェーンのロゴにも、ありますね。
実は、実際の名前の由来はで、大地の豊穣の神でした。バアルの父、という伝承を持ちます。

現代のダゴン

信仰生活とは、信頼生活

これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについて語れば、時間が足りないでしょう。
彼らは信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束の物を手に入れ、獅子の口をふさぎ、
火の勢いを消し、剣の刃を逃れ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を敗走させました。

ヘブル人への手紙11:32~34

とんでもなく短気で、我儘な性格だったサムソン、ナジル人なのに、およそナジル人らしからぬ人だったサムソンですが、彼は信仰の勇士としてヘブル人への手紙に紹介されているほどです。
彼は、一生を通して神に従いつづけた訳ではないことは、士師記の14章からを読めば明らかです。
こんな人でも神様に祝福されるの?!という驚きで溢れています。

そうです、信仰生活とは、主に信頼し行動することです。
しかもそれは一時も忘れずに信頼し続けることが出来なくとも大丈夫だと、サムソンの例が語っています。
サムソンが生涯を通して、主に祈り求めたのは、聖書を見る限り多くありません。普段から祈っていたかもしれませんが、記載されているのは2~3箇所です。

でも、その瞬間、瞬間の信頼というのが大事です。
神に信頼し、その瞬間を生きるのです。

※より詳しい音声、動画はこちらより。パスワードは webcha です。

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