12月27日:神の全能の力を体験する

メッセージ

2020年、世界的には新型コロナ・ウィルスが世界中を席巻し、あちこちで都市封鎖もあり、現在も移動や集会に制限のある国や地域がほとんどです。
改めて兄弟姉妹で集まって、礼拝を捧げられることの喜び、イエス・キリストを伝えていくことの重要さを実感した年でした。

私たちの集会に於いては、今年「祈りの会」が発足し、zoomを通して繋がった日本、オーストラリア、ニュージーランドの仲間と共に祈り合う祝福に恵まれました。
パワフルな祈りの力に圧倒され、感動し、導かれる1年でした。多くの癒しと救いを見せて頂きました。ハレルヤ!!
そして、10人の方がバプテスマを受けられ、来年の1月にもバプテスマ希望者がおられることに感謝します。

今年最後のメッセージでは、「神の全能の力」とはどういう力なのか。どうすればその力を私たちが体験することが出来るのかを考えてみたいと思います。

神の全能の力とは?

また、神の大能の力の働きによって私たちの信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。
この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、

エペソ1:19~20

19節の『大能の力』はギリシャ語でドゥミナスといい、奇跡的な力、能力、奇跡のことを言います。
20節の『力』はカラトスといい、キリストをハデスから復活させる”力”、支配、活力などのことを指します。この2節は同じ訳ですが、原語は違うのです。

イエス・キリストは最高の主権者

そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔をご自分の死によって滅ぼし、
死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。

ヘブル2:14~15

子は私たちのこと、主はイエス・キリストのことです。私たちは死の支配下にあったのに、イエスはその恐怖から解放して下さったのです。
ただし、サタンはまだ滅ぼされてはいません!
無力にされているだけで、力を発揮できないのです。

スキさえあれば攻撃を仕掛けてくる悪霊ですが、私たち、イエスの弟子たちには聖霊による守りがあります。憑りつかれることもありません。
しかし不従順な者、まだイエスを信じていない人たちにとっては、サタンはまだ恐るべき存在です。

サタンの策略と手口を知る

あなたがたは、悪魔である父から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと思っています。悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。悪魔は、偽りをいうとき、自分の本性から話します。なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。

ヨハネ8:44

悪魔=サタン
人に悪い思いを吹き込んでいるのがサタンです。更にサタンは人の「怒り」の感情を利用します。勿論神のための良い怒りもあるのですが、サタンの機会を与えてはいけません。(エペソ4:26~27)

悪魔に機会を与えないようにしなさい。

エペソ4:27

この「機会」は上陸作戦のこと。サタンに上陸ポイントを与えてはいけないのです!

全能の力を体験するために①

身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吠えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。
堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。ご存じのように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。

Ⅰペテロ5:8~9

身を慎み=ネーフィーと言って、「冷静になり、慎重になりなさい」、「ワインを控えよ」という意味です。
目を覚ましていなさい、はアオリストの命令形が使われていて、「今すぐ」というニュアンスになります。

これは、冷静な判断を鈍らせるものを避けよという意味なので、現代ですと酒はもちろんドラッグも、忙しさも、この世の悪いメディアも避けた方が良いでしょう。

②妨げる敵はサタンと見極める!

私たちは色々なものを敵だと思ってしまいがちです。
たとえば対人関係、言葉、事故、事件、禍など、目の前で起こっていることすべてを敵にしてしまいがちですが、敵=アンティディコスといって法廷用語が使われています。
訴訟相手、という意味です。
ヨブの体験した突然のアクシデントは、サタンの仕業でした。

③サタンの攻撃のワナを知る

サタンは私たちの霊に触れることはできません。しかし、まだ贖われていない心と体に攻撃を仕掛け、霊的に弱らせようとしてきます。
良い例が、ヨブの妻のことばです。

すると、妻が彼に言った。「あなたは、これでもなお、自分の誠実さを堅く保とうとしているのですか。神を呪って死になさい。」
しかし、彼は妻に言った。「あなたは、どこかの愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」ヨブはすべてのことにおいても、唇によって罪に陥ることはなかった。

ヨブ2:9~10

この、「神を呪って死になさい」というのは「せいぜい神を祝福して死んだらいいわ」という意味です。
非常な皮肉が込められていますね!

10節を読むと、祝福にだけ目を留めていると、私たちの足元はすくわれることが分かります。
私たちが目を留めていなければならないのは、表面的な祝福や災いではありません。神、そのものに目を留めていましょう。
そうすれば恐れることはないのです。

④堅く信仰に立つ

自分の信仰では、サタンにまったく歯が立ちません。
The faithでないとダメなのです。この定冠詞付きの信仰は、イエスの信仰です。既にイエスによって完成した信仰のことで、これが私たちの立ち位置になります。
イエス・キリストに信頼しましょう。

堅く立つ=ステレオスと言い、フラフラしない、ブレない、惑わない、という意味です。

⑤サタンに立ち向かう

先ほど紹介した聖句のように、サタンは日々食い尽くすべき者を探し回っています。でも、私たちは恐れずに立ち向かうことができます。
『神に従うこと』が、サタンに立ち向かう事なのです。
これが勝利のステップです!

ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

ヤコブ4:7

神の武具①

みことばを自分の者とすること。
日々聖書を読み、出来ればみことばを暗記し、いつでも頼りましょう。他の書物ではダメです、誰かの解説書でも弱いでしょう。
神のことばが一番強いのです。

神の武具②

イエスの名で祈り、願うことです。
自分の力や知恵ではいけません。

私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです。
私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。

Ⅱコリント10:4~5

そして、祈りのバリアを張り巡らせましょう。何かある前に、既に守って頂くのです!

私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。

マタイ6:13

ヤベツはイスラエルの神に呼び求めて言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあってわざわいから遠ざけ、私が痛みを覚えることのないようにしてください。」
神は彼の願ったことをかなえられた。

Ⅰ歴代誌4:10

更にエペソ6:13~17には、神の武具が7つ書いてあります。
6つは防具、2つは攻撃の為です。1つ多いですね?!そう、祈りは防具にもなるし攻撃も出来るのです。
主に在ってサタンに対抗しましょう!!

※より詳しい音声と動画はこちらより。パスワードは webcha です。

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