12月20日:(知っているようで)あなたの知らないクリスマス

メッセージ

イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。
夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかたので、ひそかに離縁しようと思った。
彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。
マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」

マタイ1:18~21

そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。
これはキリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。
人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。
ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。
ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

ルカ2:1~7

聖画と現実の違い

私たちが通常イメージするイエス・キリストの誕生は、上記マタイの福音書とルカの福音書が合体した内容だと思います。
飼葉桶に寝かせた。とあることから、馬小屋のイメージがついていますが、聖書にはそうは書いてありません。

よくあるクリスマスのイメージ

イエスが家畜小屋で生まれて、そこには牛とロバがいたという話は、「偽マタイ福音書」という書物に出てくる記述がもとになっています。この本によると、イエスは洞窟で生まれたことになっています。

『しかし、その後、マリア達は洞窟をあとにして、家畜小屋に入って、イエスを飼葉おけに寝かせると、牡牛とロバがイエスをあがめた』とあります。
この記載とルカ、マタイの福音書に書いてあることを一緒にしたのが、よくあるイエス・キリスト誕生の状況でしょう。

当時の飼い葉桶というのは、石を彫って上の部分をくりぬいた、四角い石臼とでも言えるような形をしています。木で出来た飼葉桶ではありません。
時期が仮庵の祭りなので、マリアたちは家の前に作った仮庵に泊めさせてもらったのでは・・・という推測も出来ます。

あの人の誕生秘話を知りたい?!

1番古い、AD65年頃に書かれたマルコの福音書には、イエスがお生まれになった場面はありません。マルコはバプテスマのヨハネが登場するシーンから書いています。
ヨハネも「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」と始めて、バプテスマのヨハネからスタートしています。
聖書としては、使徒パウロの書いた書簡の方が時代は古いのです。

子どもって、自分がまだ生まれてもいない頃の、お父さんとお母さんの小さかった頃のこと、色々なエピソードを知りたい、教えてと言いませんか?

お父さんのことやお母さんのこと、自分が存在する原因になった人のこと毎日自分に接している人のことを良く知りたいと思うのは自然なことだと思いますが、同じように、私たちも、自分に良いことをしてくれた人、また自分が信頼した人、好きになった人のことは良く知りたいと思います。

当時パウロ等の使徒たちによって、また多くの同労者によってイエス・キリストを信じた人たちは、自分の信じた、自分の罪を一切拭い去って下さったイエス・キリストのことをもっとよく知りたかったのだと思います。

表舞台に出て来た時のこと、1番活躍していた時代のことを知ったら、更に生い立ちも知りたくなります。メシアの預言とイエス様を照らし合わせたい人も、勿論いたでしょう。
その為に、後に書かれたマタイ(大体AD85~90年)、ルカ(AD80~85年)の方がより詳しくなっているのではないでしょうか。

聖書には無い”クリスマス”

聖書にクリスマスという行事は出て来ません12月でもありませんし、イエス・キリストの本当の誕生日ではありません 
これはもうご存知の方もおられると思いますが、実際にイエス・キリストがお生まれになった時期というのは冬ではないのです。

移動することが難しい冬に、人口調査は絶対にやらないのです。
その地方に住む羊飼いたちも羊も、12月には戸外で夜を過ごしません。下手すれば雪が降ります。

クリスマスの起源

現在私たちが祝っているクリスマスには、色々と異教の習慣が入っています。
クリスマスというものがお祝いされるようになったのは早くても350年代です。
つまりイエス様が天へ帰られて300年近くたってから初めて、12月25日を、イエス・キリストの誕生として祝うようになったのです。
なぜでしょうか?

それには色々と事情があったのです。

新カトリック大事典

『新カトリック大事典』には、クリスマスが12月25日に定まった理由として、「古代宗教の祭日の批判的受容によるとする説が今日では有力である」と述べられています。
教会は異教徒のお祭りを断固として拒否するのではなく、そちらもなあなあにして許すことで、信徒たちを増やしていったのです。

古代ローマの祭り、サトゥルナリア/太陽神ミトラの崇拝

古代のローマでは、農耕の神サトゥルヌスにちなんだ、サトゥルナーリアという祭りを12月にしていました。
仮装をしたり、無礼講で飲んだり食べたり踊ったりして、騒いで楽しんだのです。

またこの時代のローマでは、インドやイランで栄えた、太陽を崇拝するミトラ教が勢力を広げていました。
ミトラ教では、12月25日は太陽を崇拝する日としており、ローマ皇帝のアウレリアヌスは、この日を「不滅の太陽の誕生・顕現の祭」として国家の祭典に定めました。

そこでキリスト教会はミトラ教に対抗するため、対抗の方法が間違っていると思うのですが、この祭典の日を、「正義の太陽」であるイエス・キリストが降誕し、顕現した日とするようになったのです。

クリスマスはミトラ教に対抗するために始められた?!

この光背、エンジェル・ハイロウに見覚えがあると思います。
ローマン・カトリックや正教のイコンも大きく影響を受けていて、大体この光を表す”輪っか”がついています。自由の女神にもそっくりなのがついています。

古い時代のカラスと棒とコップのモザイク画ですが、これもミトラ教と結びつき、後のギリシャ、ローマの神々にまで影響を及ぼしています。

カラスはやがてギリシャ神話のマーキュリーになって行きましたが、役割はどちらも「使者;メッセンジャー」です。
このカラスはAhura Mazdaというゾロアスター教の最高神(善と悪とを峻別する正義と法の神)に遣わされて、ミトラに聖なる牛を殺させたらしいのですが、このMazdaは、あのマツダが英語の社名して使っています。

その日が「冬至」であること

クリスマス=当時を祝う祭りが世界各地にあった

ここで重要なのは、この日が冬至だということです。
勿論北半球でですが、一年のうちで日の出から日没までが一番短い日で、この冬至から日が長くなっていくので、冬至を境に太陽は再生したと考えられていました。

冬至というのは、新しい年の始まりなのです。
また、キリスト教が浸透していくヨーロッパにはゲルマン民族がいて、彼らは、「ユール」という冬至の祭をしていました。
北欧では、現在でもクリスマスのことをユールと言います。

ユールではかつて、太陽神に生贄をささげていた

ユールは、12月13日の聖ルチア祭から始まります。
その家で一番年下の娘が、白いドレスに赤い帯、太陽をあらわすロウソクの冠をつけ、サンタ・ルチアの歌を歌い、家族にケーキを贈ります。ルチアの元々の語源は、ルクス(光)で、かつてはこの日に太陽の再来を願って生贄が捧げられました。

クリスマス・ツリーの起源

クリスマス・ツリーについても、上記ユールに由来するという説があります。
彼らは樹木信仰が根強かったので、改宗させる際に、ユールで使っていた樫を樅(モミ)に変えることでキリスト教化したのです。また樅の木は横から見ると三角形で「三位一体」を表していると教えました。

クリスマス・ツリーは現代に始まった風習

また、中世ドイツの神秘劇でアダムとイヴの物語を演じた際に使用された樹木に由来しているとも言われています。
少なくとも、聖書にクリスマス・ツリーにあたるようなものは登場しません。

イエスは十字架にかけられて処刑されましたが、クリスマス・ツリーは松やモミなど常緑樹か針葉樹で、十字架を象徴するものではないのです。
常緑樹は枯れたように見えませんから、永遠のいのちや輪廻転生の象徴でもあります。

またクリスマスツリーに飾りつけやイルミネーションを施す風習は19世紀以降のアメリカ合衆国で始まりました。

サンタ・クロースの起源

サンタクロースの原型は2つあります。
1つは、4世紀頃に東ローマ帝国のもとにあった小アジアにいたキリスト教の教父、聖ニコラウス

キリスト教の聖人である点で、キリスト教の信仰と結びついていますが、聖ニコラウスとイエスのあいだに直接の関係はありません。
しかも、聖ニコラウスが現在のサンタクロースの姿をとるようになったのは、19世紀になってからとされます。

もう1つは、18世紀後半のアメリカ。
多くのオランダの移住者がいたのですが、オランダの伝統の一つに、子供達へのプレゼントを持ってくる”Sinterklaas”という人物がいました。このオランダの”Sinterklaas”文化とイギリスの”Father Christmas”文化が融合され、”Sinterklaas”という名前も”Santa Claus”に変わっていったと言われています。

サンタ・クロースの起源

クリスマス禁止の国もあった

クリスマスが異教の祭、カトリックの祭りだということで、ピューリタンの国イギリスでは、クリスマスは冒涜にほかならないとされ、1660年には、「クリスマスに贈り物交換や、着飾った外出や宴会などの違反を犯した者には五シリングの罰金を科す」というクリスマス禁止令(1647年)が出されました

しかし庶民の暴動がおこった為、その後1660年には君主制が元の状態に戻り、新しい国王であるチャールズ2世がこの禁止令を終わらせました。

アメリカに渡ったピューリタンたちも、最初の1年間はクリスマスの祝宴に嫌悪感を抱いていたため、その日も通常通り仕事をしていました。
またアメリカのいくつかの地域でもピューリタンによって、クリスマスを祝うことは禁止されました。ボストンでも1659~1681年の間クリスマスが禁止されていましたが、この時アメリカの一部の地域では祝われていたようです。

クリスマス禁止のお触れがかつてはありました

1番大事なことは?

「私たちや、その他万物を造られた方が、人間という姿をとって、人間の間に来て下さった」ということではないでしょうか。

時代は、「全世界」と言ったらもうそれは「ローマ帝国が支配している場所」という位、ローマが全盛を誇っていた時代です。
パクス・ロマーナという言葉を聞いたことがあるかも知れませんが、ローマによる平和が実現していた時期の出来事です。

ルカの福音書に名前が出てくる皇帝アウグストゥスは、正しくは、ローマの初代皇帝となった「オクタヴィアヌス」のことです。彼に尊称としての与えられたのが「アウグストゥス」なのです。
彼の養父は、共和政ローマ末期の終身独裁官ガイウス・ユリウス・カエサル。「ブルータス、お前もか。」で有名な人が養父だったのです。

ヘロデ大王

聖書には3人のヘロデが出てきますが、この最初のヘロデは非常に冷酷で、猜疑心の強い、無慈悲で恐ろしい王、として知られていました。
ハスモン家というユダヤ系の王朝の家系を皆殺しにしたり、疑心暗鬼に陥ると自分の妻や息子でも遠慮なく処刑したりして、自分に反旗を翻す・・翻しそうな人間は1人残らず消す性格です。

彼は純粋のユダヤ人ではなく、ユダヤの南の方のイドマヤという地方の出身でした。
イドマヤ人というのは、旧約聖書に出てくるヤコブと双子の兄エサウの物語で、エサウが別名エドムと呼ばれるようになるエピソードがありますが、そのエドムの子孫だとされている民族です。

ユダヤ人同士の政治的混乱に乗じて、イエスの生まれる30年ほど前に権力を握りました。
またローマ帝国の皇帝とは上手くやっていく政策を取っていたために、ローマから「ユダヤの王」として任命されていました。

ヘロデ大王の大事業

政治家としては、かなり建設関係にお金を使うタイプでした。

1番よく知られているのは、第二神殿と言われるエルサレムの神殿の大改築です。イエス様の時代も延々と工事をしていました。
それから、マサダ(ヘブライ語で要塞)の大要塞を始めとする要塞都市の建設、ヘルモン山から10キロ以上も上水道を引いてきて、下水道も完備、円形劇場や競馬場まで備えた港湾都市カイサリアの建設しました。
現在のパレスチナ辺りです。

ここはローマ軍も駐留するほど使い勝手の良い港で、現在は廃墟となっていますが、最初の異邦人クリスチャンが出たのがここです。

苦労の連続、イエスの誕生

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」
これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。

マタイ2:2

なんて空気を読まない東の方から来た博士たちが聞いてしまったので、ベツレヘムとその周辺一帯の2歳以下の男の子が皆殺しになるという事になりました。
エルサレムの人々が動揺したのは、この恐ろしい王の逆鱗に触れたら、また何をするか分からない!という事で恐れたのでしょう。この動揺、というのは恐れまどったという意味です。

イエス様には誕生された当初から苦労と、また迫害の手が伸びていました。

苦労と言えば、ベツレヘムがお父さんヨセフの出身地で、親戚の人もいくらかは住んでいたであろうことを考えると、今にも子どもが生まれそうになっている、切迫した状況の夫婦を泊めようとする親戚が一人もいなかった、というのは不思議なことです。
マリアが結婚前に妊娠していたから皆が敬遠したのか・・・それともその前から疎遠だったのか・・・ともかく、最初から、あまりこの若い夫婦は歓迎されていない様子が感じられます。

そもそも、主の使いがヨセフの夢に現れて「恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。」と、ひそかに離縁しようと考えていたヨセフに言ってくれなければ、マリアは良くてシングル・マザー、悪くて姦淫したという罪で、お腹の子もろとも石打ち刑で死んでいたところです。

生まれになる前から試練があったのです。

恵まれているとは言えない環境だった

このように、クリスマスについては色々な事柄が背景にありますが、それをを知り、人の作り上げた習慣を信じとらわれすぎないことが大切です。

クリスマスという時期を通して、「私たちや、その他万物を造られた方が、人間という姿をとって、人間の間に来て下さった」ということを考えることができれば良いと思います。
その他の色々な異教由来の行事を行うかどうかは、その人自身に任されています。

※動画、音声はこちらより。パスワードは webcha です。

コメント