10月25日:「沈黙」しない「啓示」する神

メッセージ

「あなたにご自身をあわらしておられる神様」をご紹介したいと思います。
今の世界を神は黙って見ておられません。私たちは誰もがこの「啓示する神」とつながる事ができます祈りに応えてくださる神です!

究極の状態での神の「沈黙」

しばらく前に、「沈黙-Silence-」という映画が上映されて話題になりました。この映画のテーマは、「究極の状態での、神の沈黙」ではないかと思います。
原作『沈黙』の作者、遠藤周作はこの中で何を伝えたかったのでしょうか?

彼は母親の影響で、12歳でカトリックに入信しました。しかし、イエス・キリストとの個人的な繋がりは、果たしてあったのでしょうか。晩年、「結局すべての宗教は同じ価値」という言葉を残しました。
一神教を捨てたということです。

人間の究極の葛藤を描いたという面では、荘厳なドラマです。しかし、そうと見せかけた反キリスト的な名作なのです。
内容は狂気と殺人描写ばかりです。
神に頼ることの愚かさ、「沈黙」の悲劇に同情と感動を引き出そうとする悪質な構造をしています。

応えられない祈り、4つの原因

1:神の御心ではない。
2:自分勝手な祈り、自分の欲望のための祈り
3:まだ、その時ではない
4:祈る対象が、創造主なる神ではなかった。

例えばカトリックですが、他人の書いた規定の祈祷書を読ませる「命」の無い祈りや、ロザリオを使ってマリアを聖母として祈ります。人間の功徳や、信心深さで祈りが応えられると思うのは間違いです。
祈りの対象はバチカンの神なのでしょうか?サン・ピエトロ大聖堂は一見して、太陽へ崇拝を捧げているように見えます。
他にも、オカルトやスピリチュアル系、太陽神、知らずにサタンへ祈っている場合もあります。サタンは人命など気にしませんし、祈りに応える気など無いのです。

何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。
私たちが願うことは何でも神が聞いて下さると分かるなら、私たちは、神に願い求めたことをすでに手にしていると分かります。

Ⅰヨハネ5:14~15

私たちの主は応えて下さる神です。決して沈黙されないのです。

私の信頼する神は

真剣な祈りには、必ず答えを下さいます。
イエスの御名による祈りは、全て聞いて下さっています。しかもダニエル書によると、祈り始めた日からです。

神は、主権と正義を以て道を開き、また道を閉ざされます。
私の考えを遥かに超えた答えを下さり、私たちのことをとても大事にして下さっています。必ず私や家族にとって、最善の答えを下さいます。
ましてや命のかかった真剣な祈りに応えられないということがあるでしょうか?沈黙など決してあり得ないのです。

詩篇42編の1~2には、鹿が谷川の水をしたってあえぐように、私のたましいはあなたを慕ってあえぐ、とあります。イエスはこれにお答えになりました。

詩篇42/ヨハネ4章に出て来る”水”


しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して乾くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」

ヨハネ4:14

1:一般啓示①~③

神はご自身を啓示しておられます。どこに示しておられるのでしょうか?

①自然界による啓示

神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神が彼らに明らかにされたのです。
神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。

ローマ1:19~20

被造物の中に創造主の御わざの素晴らしさを表している。神の栄光の輝き、英知は自然界を通して、私たちに示されています。

②歴史の中における啓示

高く上げることは 東からでもなく
西からでもなく 荒野からでもない。
まことに 神こそさばき主。
ある者を低くし ある者を高く上げられる。

詩篇75編6~7

神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。
それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。

使徒の働き17:26~27

ダニエルの解き明かし(ダニエル2:32~45)にもあったように、神は歴史を見て行く中にもおられます。神の言葉は1つとして成就しなかったことはありません。

②良心における啓示

律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じることを行う場合は、律法を持たなくても、彼ら自身が自分に対する律法なのです。
彼らは、律法の命じる行いが自分の心に記されていることを示しています。彼らの良心も証ししていて、彼らの心の思いは互いに責め合ったり、また弁明し合ったりさえするのです。
私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって、人々の隠された事柄をさばかれるその日に行われるのです。

ローマ2:14~16

2:特別啓示①~⑤

①奇跡
偽の奇蹟もあります。それはただ見せることだけを目的にした欺瞞や、見せ物だったりします。神の奇蹟は神の臨在と、関心と、力の証明です。
神の奇蹟の中には、ノアの時代の大洪水や出エジプトの際、エジプトに下った10の災いのように、自然の法則を増強する様な形で現されるものもあります。また、自然の法則を排除するものとしては、アロンの杖から芽吹いた、毎日降ってくるマナ、岩から水が出て来る・・等など、こちらも沢山あります。
イエスがされたのは、病人の癒し、水をぶどう酒に、死人の復活、等です。

②預言
神の預言は、神の御言葉の伝達です。
100%成就していますし、これからもします。

③イエス・キリストの啓示
歴史と啓示の中心はイエスです。神+ご性質+みこころ=父なる神
わたしを見た者は父を見た、とイエスは言われました。イエスを通してでなければ、父なる神がどんなに深い愛を持っておられるか、私たちには見当もつかなかったでしょう。
預言者は必ず、「主は生きておられる」と言って語ります。

イエス・キリストの三重の啓示

御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。御子はご自身を通して罪のきよめを成し遂げ、いと高き所で、大いなる方の右の座に着かれました。

ヘブル1:3

日本語訳の聖書には太字に赤いラインの部分が抜けていると思いますが、ギリシャ語テキストにはこの大事なことばが載っています。
イエス・キリストを通して罪のきよめがされたのです。父の赦しでもあります。それで、どんな人でも主の器となるのです。

④聖書を通しての啓示
聖書は最高で、唯一の誤りなき資料です。神のことばに信頼しています。

また、自分が幼いころから聖書に親しんできたことも知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。
聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。

Ⅱテモテ3:15~17

聖書=旧約聖書(トーラー)
教えと戒め=確信
神の霊感=神の息吹
矯正と義の訓練=真剣に聞き、生きること

まず救いを与えて下さいます。救いとは、父なる神との関係を回復させることです。

⑤個人的体験を通しての啓示(神との直接的交わりの体験)
A:与えられた知的能力、意識、知性
ヤコブ1:17には「あらゆる光の父」とあります。
B:与えられた霊的能力、人間独特の天性
私たちの”霊的な能力”で、霊であるお方、神を意識することが出来るのです。神と直接交わりを持てる能力です。

知的能力も、霊的能力も、個人差がある

霊的能力は、神に背いたり御心を損なう度に鈍化してしまう。それは、神との関係が断たれ、分からなくなっていくことを意味します。
私たちはこの世の霊(悪霊)を受けたのではなく、聖霊を受けたのですとⅡコリント2:19に書いてあります。

神はご自身を現していらっしゃいます。もっともっと知って欲しいと思われています、特にクリスチャンにはそう思われています。
聖霊は私たちが神を知る助けを、私たち自身の霊と共にしています。神の深みに向かって行きたいですね。

本当の意味でスピリチュアルになり、万物の創造主と繋がって行きましょう!

※詳しい音声と動画はこちらより。パスワードは webcha です。

コメント