世界は新型コロナのことから、激変しました。新世界秩序(NWO)に従い急激に動きを早めています。ユニオンが合言葉になり、世界規模で物事を考えようとしています。良いことのように受けとめる人もいるでしょうが、上に立つものが悪であるなら、最悪の世界が訪れます。そこで人間の考えに左右されないAIによる支配を考えているようです。まさに啓示(黙示)録の世界がそこに見えて来ています。
しかし、救われた私たちは天国人として最後の旅路を全うしたいと思います。「後のものが先になり」という言葉をあらためて示され、ハッとさせられました。いつのまにか間違った世界観、人生観、価値観が自分のものになっていたからです。時として聖書が理解できない理由がそこにあるようです。
マタイ20章1節~16節/3つの理解の鍵
夕方になったので、ぶどう園の主人は監督に言った。『労働者たちを呼んで、最後に来た者たちから始めて、最初に来た者たちにまで賃金を払ってやりなさい。』
ここは天の御国を、”自分のぶどう園で働く者を雇うために朝早く(恐らく朝5時頃)出かけた家の主人”に例えた箇所です。
朝早く出かけて雇った者に1日1デナリと約束した主人は、9時、12時頃、3時頃、そして5時頃にも出て行って雇いました。いつ雇われた者でも、1日1デナリの約束です。夕方の支払の時間になると、数時間しか働いていない5時から雇われた人たちから賃金を渡し始めました。
常識とは逆ではないですか?
朝早く雇われた人たちは、自分たちはもっと多く貰えると思っていました。12時間近く、労苦し、灼熱の暑さを我慢したのですから当然だと思っていました。
1:神の恵みの理解 -後の者が先になり、先の者が後になる-
最後に雇われた者は賃金契約も無しです、実質2時間も働いていないでしょう。それでも先にされたのは、彼らは救われた異邦人代表だからです。契約があり、早朝から雇われた者たちは、ユダヤ人でした。
旧約聖書時代の義人たち:神との契約の元に、行いを求められていました。彼らが地上に復活するのは、7年の艱難期の最後、イエス・キリストが再臨される時です。
異邦人:神との契約もなく、神の愛、契約とは別に恵みを理解して救いを頂きました。彼らは7年の艱難期直前、イエス・キリストが空中再臨される時に、天へ引き上げられます。
2:父なる神の想いを知る
あなたの分を取って帰りなさい。私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。
マタイ20:14~15
自分のもので自分のしたいことをしてはいけませんか。それとも、私が気前がいいので、あなたはねたんでいるのですか。』
あなた(朝早くから仕事を貰える恵みに預かった人)と同じだけ与えたい!と考えておられるのが天の父です。
①全ての人を雇いたい
②全ての人を不安から解放したい。
③自分の持つ力、恵み、祝福を与えたい。
④憐み深く気前が良い。
⑤全ての人を天国人としたい。
祝福する神の主権が全てに勝ります。私たちの労働、信心深さ、年功序列など関係ないのです。
この世の価値観=自分の無限ループ
自分の、人間的な価値観を神に向けてしまうことは無いでしょうか?
自分の判断、努力、思い、信仰歴、奉仕の内容、等々、これ位やったのだから◎◎さんより祝福されるべきだ、もっと貰えるべきだ、不公平だ、という自分の価値観での無限ループです。
この世の価値観とは、『神抜きの、人間中心の価値観』です。例えるならばオリンピックもそうでしょう。
初期のオリンピックでは、優勝した、人間の中でも最高の肉体、能力を持った者たちを神(ゼウス神=サタン)に捧げるということをしていました。太陽神の象徴である聖火が世界を駆け巡るのも皮肉です。
デフリンピック、パラリンピック、スペシャル・オリンピックなど、近年は応援したくなるような大会もありますが、オリンピックは目を覆う様な起源から始まったのです。
3:天国=メシア王国の憲章理解
あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみをうけるからです。
マタイ4:7
あわれみ深いとはギリシャ語でエレエーモーンといい、同情と具体的な行動を指します。愛と行動なのです。更に、憐み深いとは神の最初の御本性でもあります。
私たちが受けるあわれみの体験を、他の人へ循環させて行くことが大事です。メシアご自身の支配は、愛と義です。そこには平和と喜びが満ちています。
したがって、神に関わる事柄について、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪の宥めがなされたのです。
エペソ2:17~18
イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。
あわれみは神の御本性です。
イエス・キリストによってどれだけ愛されているのか!!を体験しましょう、そして人の為にそれをするのです。
夜、見張りの始りに、立って大声で叫べ。
哀歌2:19
あなたの心を主の前に、水のように注ぎ出せ。
あなたの幼子たちのいのちのために、
主に向かって両手を上げよ。
彼らは街頭のいたるところで、飢えのために衰えきっている。
この哀歌が書かれた頃、南北に割れたイスラエルに飢饉が襲っていました。大変に悲惨な飢饉で、自分の産んだ子供を食べるほどだったのです。
その時、ユダヤ人たちは主にあわれみを願って手を伸ばし、大声で祈りました。私たちも新型コロナで脅かされる日々を、主に助けて頂きましょう、そしてアフター・コロナのためにも祈って行きましょう。
それが、天国人としての生き方ではないでしょうか。
※より詳しい音声と画像はこちらよりご覧ください。パスワードは webcha です。
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