8月18日:怒りの処理の仕方を、聖書に学ぶ

メッセージ

怒りの処理の仕方を間違えるとかえってつらいですね。ある人と話をしながら、その方が勧められた怒りの処理の仕方でかえって、苦しんでおられるのを知りました。

はたして、赦せないのにとにかくゆるし、怒りを手放し、自分を押し殺していきているのが正しいのでしょうか?

詩篇7:11には”日々、怒る神”とあります。エペソ4:26を見ても、キリストを信じる者でも怒るのを否定されていないのが分かります。因みに”怒る”というのはギリシャ語で『オルギゾー』、熟れた果実が果汁ではち切れそうになっているように、激怒で膨れている様子を表しています。

では、罪と化す怒りとは??

怒りは放っておくとさらに膨れ上がり、爆発します。(ローマ3:13~16)怒りは制御しないと煮えたぎるのです。

Q:では、以下の聖句を根拠に”何でも赦しなさい”、”クリスチャンなのに怒りを持つのは間違いです”というのは、果たしてあっているのでしょうか?

・エペソ4:32/互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。

・コロサイ3:13/互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。

A:互いに、というのはイエス・キリストを信じる者、その愛を知っている者同士のことです。全ての人、全ての事例に当てはまる訳ではないのです。

Q:赦せない人は神に対して反逆しているのでしょうか?

A:聖書のアドバイスは、①怒りは翌日に持ち越さないこと。(ユダヤ人の時間は日が沈んだ時から翌日ですので、夕方までには解決しましょう)②怒りではなく、復讐は神に委ねましょう(ローマ12:19~20)

怒りは持っていても良いのです、それはいつか主の計らいで消える時が来ます。ただ怒りの気持ちが復讐心へ育ってしまわぬよう、箴言28:13、Ⅰヨハネ1:9にあるように主に気持ちを告白し委ねましょう。怒りは放っておかない方が良いのです。

―もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。―Ⅰヨハネ1:9

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