恐れの原因
私たちには自分で解決できない問題が沢山あります。
自分の弱さ、限界も感じるでしょうし、先が見えない不安、対処できない悩みやストレスで、病気になってしまったりします。
現代ですと、人権を無視した政治・政策・法律から何とか生き延びるために、田舎に土地を買い自給自足の生活をしようという人、この政府から逃れ、自国へ帰る人など様々です。
恐れへ正しく対処する
イスラエルの民は、以前強国からの攻撃を受けそうになった時、人間的な対処方法を取ったことがあります。
①より強い人に頼る
②自分の頭で策を練る
③エジプトと同盟を結ぶ
・神の言葉を無視
・霊的に、目が見えない
・霊的に鈍くなり、眠りの霊に陥る
・宗教化、形式化
これらは全て、神に対する祈りから離れ、信頼からも離れた状態です。
正しい対処の方法ではありません。
恐れる必要はありません
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。
イザヤ41:10
恐れる:これは元々は畏敬の念を持つ、ということです。正しい恐れとは、神を神として認め、尊重するということです。
たじろぐ:(驚いて、当惑して、失望して)周りを見回している。
人を恐れるな
人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。
箴言29:25
この「恐れる」は、非常に不安を抱え、震えるような恐怖を指しています。先ほどの「恐れる」とは意味が違うのです。
更にこう続きます。
支配者の顔色をうかがう者は多い。しかし人をさばくのは主である。
箴言29:26
支配者の顔色を窺うと、そこには罠があります。それより、天と地の創造主であり支配者である、神を仰ぎましょう。
ヤハウェを恐れる祝福
主を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。
詩編111:10
主を恐れることは知識の初め。
箴言1:7
愚か者は知恵と訓戒を蔑む。
主を恐れるなら、いのちに至る。
箴言19:23
満ち足りて住み、わざわいにあわない。
力強い信頼は主を恐れることにあり、子たちの避け所となる。
箴言14:26~27
主を恐れることはいのちの泉、死のわなからのがれさせる。
私たちが色々なことに恐れを感じるということは、神に対して恐れを失っている時です。
死の罠にかかってしまっているのです。
恐れを感じるときに、どうしたら良いのでしょうか?
思い煩うな!ただひたすら祈れ!!
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
ピリピ4:6~7
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
①恐れてはならない、気落ちしてはならない
②この戦いは、あなたがたの戦いではなく、神の戦い
③主の勝利を見るには?
Ⅱ歴代誌20:17には、そのように書いてあります。モアブ人、アンモン人が攻めてきてユダとエルサレムが取り囲まれたとき、王ヨシャファテは「攻めてくるこの大軍に当たる力は、私たちにはありません。」と、主の前にひれ伏し、主の前に立って、救いを待ったのです。
ヨシャファテは主の約束の実現を先取りし、礼拝し、賛美し、満たされるまで祈りました。
それから、彼は民と相談し、主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌うためであった。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」
Ⅱ歴代誌20:21~22
彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。
自分の内側にある恐れに対処しなければならない、どう戦うのか考えなければならない、そういう時にヨシャファテは賛美する者を任命しました。
主にあって勝利するには、賛美がとても大切なのです。
賛美から始まった戦いは、賛美に終わります。
22節を見ると彼らが賛美の声を上げ始めた時に、主が伏兵を送って下さったので敵は同士討ちを始めました。最終的に勝利し、分捕り物も取り切れないほどあり、それゆえ、四日目にベラカの谷、”ほめたたえる”と名付けられた谷で、イスラエルの民は主を褒めたたえました。
まだ不安がありますか?
神は私たちと共にいます。その安心感を、私たちは得ましょう。
それぞれの国において、主の勝利をこれから体験することを楽しみにしましょう!
※YOUTUBEにより詳しい音声と画像があります。
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