11月15日:裁き前をどう生きる〜エノク

メッセージ
神とともに歩む

人類の裁きが明らかな時代に、どのように生きたら良いのでしょうか?旧約のエノクと携挙前の私たちは、いろいろと重なるところがあります。
どう生きたら良いのか?その示唆をエノクから受け止めたいと思います。

エノク

エノクの系図

アダムには当初、三人の息子がいました。カイン、アベル、そしてセツです。
アベルを殺してしまったカインの子孫は神を恐れない人々となり、この世を悪い方向へと進めていったのです。
エノクは、アダムが130年生きた時に授かった子供、セツの子孫です。

エノクの名前の意味は、従う者、ささげる、教えられた者、預言などです。ヘブライ語のハノク、ひたむきな、に由来する名前です。

エノクの転機

エノクの時代、世は悪で満ちていました。エノク自身、この世と同じ歩みをしていたかも知れません、しかし65歳になったエノクに大きな転機が訪れます。それは、長男メトシェラが生まれるのです。
それからのエノクは、「神とともに歩む(創世記5:22)」人生へと完全に方向転換しました。
神とともに歩む、というのは、神の望む人生を歩むということです。自分がやりたいように生きる人生ではなく、神に明け渡し、神の願いを求め、歩む、そのような人生です。
一体エノクに何があったのでしょう。

エノクの転機

メトシェラの名前に隠された秘密

エノクは恐らく、メトシェラが生まれた時に神から「この世の終わり」を啓示されたのではないでしょうか。それが分かるのは長男メトシェラの名前です。
メト=死
シェラ=送る、もたらす
つまり、この世の終わり、神の審判を表している名前と言えます。
人が神を畏れ敬う人生を送るのは、「神の審判」を知ることから始まるのではないでしょうか?エノクは子供に神と、神の裁きを教えるだけでなく、自分も神に従う姿を見せようと誓ったのです。
300年間、エノクは嘲笑う周囲の人々にも屈せず、神とともに生きました。

エノクの見た啓示

アダムから七代目のエノクも、彼らについてこう預言しました。「見よ。主は何万もの聖徒を引き連れて来られる。すべての不敬虔な行いと、不敬虔な罪人たちが主に逆らって語ったすべての暴言について、皆を罪に定めるためである。」

ユダの手紙14

このみことばから、エノクは大洪水だけでなくこの世の終わりについても啓示されていたのではないでしょうか。
まさに今の時代のことです。
何万もの(第三版:千万の)聖徒を引き連れてくる、という部分を私たちは今、「地上再臨」と呼んでいます。

エノクの見たこの世の最後

エノクの死を見た者たち

アダムの罪によって、この世に死がもたらされました。まだこの世で”死”そのものを見た人間は少なかったと思います。アダムでさえ、肉体的な死は霊的に死んでからも続き、死んだのは930歳の時です。

死を見た者たち

アダムの死は、最低でも8人が目撃しました。
それから程なくしてエノクが365歳の時、きっとその日もいつもと同じように主に祈り、語らいながら過ごしていたであろうエノクを、主は天へ連れていかれました。

信仰によって、エノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました。彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていたのです。
信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。

ヘブル11:5~6

ヘブル書には信仰の歩みが書かれています。「私は神とともに歩む!」ということです。
この”信仰”は、いつも敢えて使う”信頼”ではありません。信仰の歩みには困難が伴います。この世とは反対の歩みなので、迫害もあるでしょう。
しかしその歩みの基準は、『みことばに従う』ことです。

信仰の歩みとは

主が求められていること

主はあなたに告げられた。
人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。
それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。

ミカ6:8

これが人類に主が求められていることです。
まず”人に対する私たちの生き方”として、公儀神の統治による正義と公正と、誠実神の絶対的な愛に基づく親切、があります。
そして”神に対する私たちの生き方”は”へりくだること”です。

へりくだって、という言葉は「自分の立場を低めて相手に敬意を示す」という意味ですが、主を相手に自分を低くするだなんて、まるで自分が一時は主より高い所にいたようではないですか?
箴言11:2にも同じ言葉が使われていますが、ここは高ぶりに対してへりくだると書かれているので意味が通るのです。
そこでへりくだるという言葉の意味を調べてみると・・・『思慮深く、注意深く、賢明に』という意味があるのだと分かりました。これなら納得できます。

神へのへりくだりと、そのペース

ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。
だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。
その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。

ミカ5:2

この預言は紀元前400年以上前ですが、非常に大きいのです。なぜならこれはメシア誕生の預言だからです。
マタイ11章の28節から30節には、イエス様がへりくだって下さっていることが書かれています。へりくだるとは、上位の者が下位の者に対してすることなのです。
イエス様は人となられた後も、私たちのペースに合わせて下さっています。

思慮深く、私は神とともに歩む

エノクはこのようにして、主体的に、自覚的に、強い意志を持って神とともに歩みました。
御ことばに従うことが大事です。自分で勝手にしてはいけません。見本はエノクです。

携挙が近づいています。私たちはエノクのように、死を見ることなく天へあげられるでしょう。
しっかりと思慮深く、主とともに歩んでいきましょう!

※詳しい動画と音声はこちらより。パスワードは webcha です。

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