10月18日:ルツ記4章

メッセージ

短く凝縮された物語の中で、神の救いのご計画と、その成就の鍵を見てきました。自分の過去の一切と決別して、真の神を選んだルツ。ルツの幸せを願うことで、彼女を導くナオミ、そして贖い主、メシアの型とも言える誠実なボアズの恵み。
最後の4章はいよいよボアズとルツの結婚ですが、読んでいくと『土地の贖いと、結婚の謎』が浮上してきます。ダビデ王誕生に連なって行く、重要な物語が、私たちに語りかけてくる御言葉を掴みましょう。

これまでを振り返る:ルツ記1章

ナオミ一家の10年

ベツレヘムに住んでいたエフラテ人、エリメレクの一家(妻ナオミ、兄弟マフロンとキルヨン)は飢饉を逃れるためモアブの地へ移住していきます。
ベツレヘムは「パンの家」、エフラテは「穀物の地」という意味があります。さらにエリメレクという名は「私の神は王」という意味です。

皮肉なことに一家は、祝福されている名を持つ地から、神の元を避けるようにモアブの地へ下るのです。そして二兄弟はモアブの女性と結婚しますが、エリメレクは亡くなり、兄弟も亡くなってしまいます。
一家には女性だけが残されました。

「あなたの母の家に帰りなさい」
ナオミが再三2人の嫁に促したので、とうとうオルパは自分の故郷、モアブの地へ帰って行きました。しかしルツは違います。

あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です
というルツの信仰を神は顧みて、この信仰から、主はメシア(救い主)の歴史を導かれます。彼女やナオミと同じように、主の約束を信じて生きる者に与えられる、人の思いを超えた神の恵みの連鎖を見ていきます。

これまでを振り返る:ルツ記2章

ボアズの恵み

恵みとは、本来受けるに値しないことを受けることを言います。ボアズにしてもらった大きな厚意には、神の恵みの型を見ることが出来ます。
最も価値ある贈り物を、最も価値のない者に、ただで与えてくださることが、恵みなのです。

神の摂理。

ルツははからずも、ナオミの親類ボアズの畑で、落ち穂拾いをさせてもらっていました。ここに、何事にも偶然はない、という神の摂理を見ました。

これまでを振り返る:ルツ記3章

買戻し=贖い

ルツの大胆な求婚方法ばかりが目立つ3章ですが、ここでは重要な買戻し、ゴエルという律法が出て来ました。
新約聖書時代の「贖い」も、この考えに基づいています。罪の負債がある人間を、イエス・キリストが、その血を代価として買い戻して下さったのです。

ルツ記は全編を通して、主がはっきりと、表に出て来られるところは少ないのです。
しかし、ナオミの嘆き、ルツの決心、ボアズの祝福の言葉、色々な律法などを通してすべての背後におられる主を、意識します。神のご計画を実現していくのは、この物語にでてくるような目立たない、素朴な、普通の人々です。

4章の中で”主”が表だって書かれているところは少ない

マタイの福音書にある、イエス・キリストの系譜

新約聖書、マタイの福音書の最初にアブラハムからイエス様に至るまでの系図が書かれています。イエス様に繋がるユダ族の流れ、ルツはここに載っています。

マタイはユダヤ人を意識してこれを書きましたから、①神の救いのご計画は、神の慈しみ、恵みの御手によって実現されていく②主に信頼をして、自分の人生を委ねていく人々を器にされている、ということが読み取れると思います。

マタイの福音書1章 イエス・キリストの系譜

前回、3章で「買戻し」ゴエルについてお話ししました。
落ちぶれてしまって、土地を手放した親戚に、それを買い戻してあげる律法です。「買戻し」という言葉と「贖い」は同じ意味があります。

イザヤ44:22

救い主、メシアという言葉はユダヤ人にとってあまりにも大切な、重い言葉で、彼らは今もメシアを待っているのですが、彼らにイエスを伝える時に「私たちを既に贖って下さった方がいる」とイザヤ書を紹介すると、それでピンとくる人がいるということです。

ルツ記4章

今回の4章冒頭で、ボアズは町の城壁の門の所へ行って、買い戻しの権利のある親類と交渉します。
当時の門には部屋がいくつもあって、そこで裁判や商談などが行われていました。町の長老10人も証人として招いています。

4章には幾つか、読んで行くと謎の部分があります。

土地の贖いの謎

ボアズは、その買い戻しの権利のある親類に言った。「モアブの野から帰ってきたナオミは、私たちの身内のエリメレクの畑を売ることにしています。

ルツ記4:3 新改訳2017年度版

第三版でも訳はほぼ同じです。
これですと、土地の持ち主はまだナオミのような印象です。しかし、

ナオミは我々の親族エリメレクの地所を売りましたが、モアブから帰ってきました。

ルツ記4:3別解釈

ここは、こういった訳も成り立ちます。
なぜかと言うとヘブル語は完了形と未完了形しかないので、完了形で書いてあっても過去完了とも未来完了とも訳せるからなのです。

土地はナオミのだが10年間放置してあり、それを売りたいのか、それとも既に手放していて買い戻してほしいのか…。
この流れですと『ナオミ一家がベツレヘムを出る際に売ってしまった土地を、親戚が贖う』という話が自然ですが、微妙なところです。

土地の贖いと結婚の謎

そしてもう1つ不思議なことは、この近い親類は始め「私が買い戻しましょう」と言います。
兄弟間でないとレビレート婚が成立しないのは3章で説明しました。そして土地の贖いと結婚も、本来は連動しません。
土地を買い戻してあげたからと言って、必ずしも残された妻と結婚しないといけない、残されたお母さんの面倒を見てあげないといけない訳ではないのです。

最初は土地を贖う気だったナオミの親類

ボアズは言った。「あなたがナオミからその畑を買い受けるときには、死んだ人の名を相続地に存続させるために、死んだ人の妻であったモアブの女ルツも引き受けなければなりません。」

ルツ記4:5

ボアズから「土地を買い戻すならルツと結婚するんですよ」と言われたとたんに、不思議な事にその近い親類はすぐに引きさがりました。ボアズの発言は、あきらかに「想定外」だったのです。

何故でしょうか??

親類の思惑・・・?

通常の買い戻しだと、没落した親類の財産を買い戻して、もともと権利のある人の持ちものにするので、贖った人には損失です。しかし、ナオミには子供が無いので、最終的に土地は自分のものに戻ってきます。

でももしルツとボアズが結婚して子供を作るなら、買い戻した土地は最終的にボアズの家のものになるので、全く話は違ってきます。

ルツのお願い?

娘さん、もう恐れる必要はありません。あなたが言うことはすべてしてあげましょう。

ルツ3:11

3章で求婚する際、ボアズがこう言っていることから、結婚以外にも何かルツがお願いをしたのかも知れません。
この近い親類が買い戻しの権利をボアズに譲渡する際、『履き物を脱いで渡す』という律法に定められた作法をしているのですが、申命記25章の8~10を読むと、全く同じような作法で譲渡しているわけではないことも分かります。

申命記25章 もしレビラート婚を断った場合

ユダヤ教のラビたちも様々な憶測をしているのですが、「この取引について、神はあまり明確にその仕組みを明らかにしたくないのだろう」と考えた人もいます。
私の友人のラビにここを尋ねた所、確かに土地の贖いと結婚は連動していない、しかしボアズがルツと結婚したのは「He is so kind.」ということでした。本当にそれだけだろうか・・・と思いますが、こういった所に深遠な真理があることが多いのだそうですから、皆さんも祈りつつ読んでみてください。

買戻し成功!

門にいたすべての民と長老たちは言った。「私たちは証人です。どうか、主が、あなたの家に嫁ぐ人を、イスラエルの家を建てたラケルとレアの二人のようにされますように。また、あなたがエフラテで力ある働きをし、ベツレヘムで名を打ち立てますように。どうか、主がこの娘を通してあなたに授ける子孫によって、タマルがユダに産んだペレツの家のように、あなたの家がなりますように。」

ルツ記4:11~12
ルツはイスラエルの民に加えられました

ラケルとレアは創世記29章からでてくるヤコブの奥さん姉妹です。ヤコブは後の名前をイスラエルといい、彼の12人の子供たちは、イスラエル12部族の父祖となりました。
タマルというのは創世記38章にでてくる女性でやはり寡婦でした。ユダの子孫を残す人です。生まれたのは双子で、その1人ペレツの子孫の流れにルツも入り、ダビデに繋がるのです。

ルツは異邦人ですが、契約の民としての子を授かるようにという祝いの言葉なのです。

オベデ、買い戻しの権利のある者の誕生

主がみごもらせたオベデ

主はルツを身ごもらせ、彼女は男の子を生んだ。

ルツ記4:13

この表現は珍しいのです。(妊娠は普通、妊婦が主語)
ホセア9:11にもありますが、これはイスラエルの運命のたとえで使われているので、人間の誕生において、主が「身ごもらせた」とあるのはこの箇所のみです。

ここにも主の介在、ご計画が感じられます。

ナオミはその子を取り、胸に抱いて、養い育てた

ルツ記4:16

近所の女たちは、「ナオミに男の子が生まれた」と言って、オベデと呼びます。名付け親は近所の女性たちでした。名前がルツの前夫の名前になっていないことからも、これがレビレート婚でないことが分かります。
女性たちはオベデのことを「買い戻しの権利のある者」と呼んでいます。
ルツと結婚したボアズのことではなく、オベデを「ゴエルの権利のある者」と言ったのです。

オベデの名は、礼拝する者、仕える者という意味がある

この名は礼拝する者、仕える者、という意味があります。

15節で女性たちが、その子はあなた(ナオミ)を元気づけ、老後のあなたを養うでしょう。と預言しています。
先ほど、オベデが「買い戻しの権利のある者」と呼ばれていました。オベデは回復させ、養ってくれる者・・・ここに、贖い主としてのイエス・キリストをみます。

イエスは私たちを、罪による悲惨な状態から救い出すだけでなく、神の子としての権利を回復してくださるゴエル、贖い主です。

イエスは私たちの贖い主!

ルツのように、ナオミのように、一切の望みがないように見えても主に信頼していくことが大切です。
人間の無力や絶望、痛みや苦しみが神の恵みの力によって乗り越えられて、希望や喜びに変えられていくことを学びました。

これはキリストにある者すべてに約束された恵みです。
ルツのように、過去の古い自分を全て捨てて、主に信頼していきましょう!

※詳しい音声と動画はこちらより。パスワードは webcha です。

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