永遠を理解して生きる
永遠の違いを理解した生き方、時間を質的に捉える聖書的な生き方を学びましょう!
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。(伝道者の書3:11)
<永遠という概念>
-3つの”永遠”
①私たちの能力や思考の限界を認めて生きる。
・アド・・・考えうる最も遠くの限界にまで至る時間、としての永遠。例)宇宙空間(半径464億光年)
②「隠されたこと」は神に属し、明らかにされた今を生きる。
・オーラーム・・・古い昔、永遠、世界⇒過去の創造の様子や、未来など、分からない部分を含む”永遠”。=「隠された時」すなわち「はっきりしない長い時間で初めや終わりが不確かで定まっていない時」
彼らはまた高い所を恐れ、道でおびえる。アーモンドの花は咲き、いなごはのろのろ歩き、ふうちょうぼくは花を開く。だが、人は永遠の(永続する)家へと歩いて行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。(伝道者の書12:5)
-私たちにとって、永遠の家は”新天新地”のこと。「神の永遠」の一部しか分かり得ないという事実を認めよう。
隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。
-「隠されていること(サーツァル)、分からないこと」・・・これらのことに関しては、私たちには責任がない。心配する必要はない!示されたことを、責任を持って行けば良い。(マタイ6:34、同6:26)
★悩むことは準備することとは大違いである。今を十分に生きなさい⇒隠された未来に対して思い煩う必要はありません。
③時間を超越し、歴史を完全無欠に統制できる神に信頼して生きる。
-ネッアフ・・・『光輝』。過去にも未来にもあらゆる限界を超越する、無限に広がる永遠。
エネルギーは循環し、使われると減っていくものですが、神は唯一エネルギーを作り出すことができるお方です。(「光があれ」と言われた言葉により、宇宙に光=エネルギーが満たされた。)
<神と共に過ごす永遠は?>
Ⅰコリント2:9、ヨハネ11:4によると、私たちの人生の目的は死で終わるものではありません。人生の終わりは”死”ではないのです。不治の病ですら、神の栄光のためのものでもあるのです。
ローマ5:2~5/艱難の中にあっても喜んでいましょう。忍耐⇒練られた品性⇒希望を生み出す!
聖霊によって神の愛が与えられているから、この希望が失望に終わることはありません。
ローマ8:17,18/苦難を共にしている+今の時の色々の苦しみ=千年王国、新天新地へのリハーサル
★今の人生の価値観にあまり悩むことはありません。
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。-主の御告げ。ーそれはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ29:11)
-わざわいの現象そのものの先は神しか知らない。私たちにとって災いと見えたとしても、神はそれを通して平安を与える計画をされている。将来と希望がもたらされるので恐れおののく必要がないのです。
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