①自分の持っている”時”の概念を超える!
-イザヤ55:8~9/わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。―主の言葉―天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
自分の視点と神の視点はまるっきり異なります。神は未来を見据えて、今を対処して下さる方、全能の方で、不可能は何一つありません。
-未来、将来に対して“強くあれ”とあります。この“強くあれ”はヘブライ語”ハーザク”の命令形で、強くする・しっかりするという意味があります。申命記には3回、ヨシュア記には4回出て来ます。(申命記31:6、31:7~8、31:23)
-”雄々しくあれ”という言葉はヘブライ語で“アーマツ”といい、奮い立つ・励ますという意味があります。
主は私たちの”先”に進んで下さり、また、”共”にいて下さる事はモーセも体験しました。
②過去に縛られないで、祝福に変えていく生き方
-申命記5:12~15/安息日を守って、これを聖なるものとせよ。あなたの神、主が命じたとおりに。六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、牛、ろば、いかなる家畜も、また、あなたの町囲みの中にいる寄留者も。そうすれば、あなたの男奴隷や女奴隷が、あなたと同じように休むことができる。
安息日(土曜日)を守らなければいけない?!
・・・ここで求められているのは、『自分がかつて奴隷であった事(苦しみ、辛さ)』、『神があなたをそこから連れ出された事』、これを“覚える”=“記憶”する事です。主の恵みと憐みを受けた“良い体験”として思い起こし、記憶する、記憶し直すことです!
神にとって過去、現在、未来は過ぎ去っておらず、全て現在の様に受け(体験)とられる・・そのことはユダヤ人にとって、アブラハムの体験や約束は自分たちの体験であり約束なのだ、という感覚なのです。
*マイナスの感情は時間と共に自然治癒しません。放っておくと更に複雑になり、健康に害を及ぼす事もあります。また、傷ついたまま許せないでいると、それは次第に怒りと憎しみの感情になっていきます。
*思考や意識から消去しようとするなら、かえって思いだされてしまい、記憶にしっかり刻みつけられてしまいます。逆効果なのです。
それよりもイエス・キリストを覚えましょう!・・・約束された未来との繋がりで覚えること。
―二羽のスズメは一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。ですから恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。―マタイ10:29~31
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