10月4日:ルツ記3章

メッセージ

3章にタイトルをつけるとすれば、表面的には『ルツの大胆な婚活』と言えます。
現代の感覚で読んでも、ドキッとするような方法でルツは求婚をするのですが、読んで行くと、、根底に流れるテーマは主が約束された恵みへの信頼であることに気付かされます。

幸せになる(する)ために

姑ナオミはルツの行く末を案じています。
全てを失って、子供も孫もいない絶望的な状態で、一縷の望みをかけてベツレヘムに戻ってきたナオミだったのですが、あくまでも自分とイスラエルの神に忠実な、ついてきた嫁ルツの幸せを願うことを通して、彼女もまた救われていくのです。

ルツ記3:1

身の落ち着く所はヘブライ語でマーノーアッハ(מָנוֹחַ)といい、Homeに近いイメージの言葉です。アットホームな場所を持つことが、幸せになることと同義に使われています。また、1章でナオミが二人の嫁に「自分の家に帰って、新しい夫をもって「安らかな暮らし」ができるよう」にと諭しています。
これはメヌーハー(מְנוּחָה )といい、当時の女性にとっての幸せは、結婚によって得られる精神的な落ち着きであると考えられていたことが分かります。

ナオミは彼ら二人がお互いに好意以上のものを持っていることを感じ取ったのでしょう。
しかし、ユダヤ教の伝承だとボアズはその時80歳。ルツの亡くなった義理の父と同年輩と考えてもおかしくありません。

もしボアズの方から求婚したとして、断られる可能性もないわけではありません。
その為、ナオミはルツの方から、当時の常識でも、もちろん現代の常識でも考えられない方法で求婚することを教えたのだと考えられます。

ナオミの指示

ルツ3:2

通常、打ち場は集落から離れた、風の強い野外にありました。そこで投げ上げて、脱穀するのです。
収穫物が盗まれるといけないので、夜は主人が泊まり込みで番をする習慣がありました。
畑の持ち主ボアズは、ナオミの亡夫エリメレクの親戚です。

そこでナオミがルツに指示した事とは・・・。

「あなたはからだを洗って油を塗り、晴れ着をまとって打ち場に下って行きなさい。けれども、あの方が食べたり飲んだりし終わるまでは、気づかれないようにしなさい。

あの方が寝るとき、その場所を見届け、後で入って行ってその足もとをまくり、そこで寝なさい。あの方はあなたがすべきことを教えてくれるでしょう。」

ルツ3:3~4

おっしゃることは、みないたします。

ルツの信頼

ナオミの指示は、現代で考えても結構大胆です。
ルツはそこで「お義母さん、そんな恥ずかしいことできません!ただでさえ私はモアブ人で、皆から誤解されやすいんですよ!」とは言いませんでした。

ルツがナオミに従うのは、ナオミの言葉、意思の中に神のご計画と御心を見るからです。
勿論これは、当時の普通の求婚方法ではないです。
ナオミはなぜルツに、こんな大胆で、うっかりすると誤解を招きそうなことをさせたのでしょう・・・。

レビラート婚

レビラート婚

これは日本だと順婚とか、弟婚と言われます。
結婚したにもかかわらず子供が出来ないうちに夫が亡くなった場合、夫の兄弟と結婚して子孫を残す為の再婚で、申命記の25章に詳しく載っています。

ルツは子供がおりませんので、ボアズとの間にこの律法が適応できれば良かったのですが、レビラート婚が出来るには条件が足りませんでした。

レビレート婚は「一緒に住んでいる兄弟」に限定されていたのです。近いといえども親戚の男性が出来ることではありませんでした。
歳も離れている、ましてや亡くなった夫と兄弟でもない男性との再婚を成功させるため、ナオミは更に考えたと思います。

買戻し=ゴエル

買戻し=ゴエル=贖い

2章の20節で、ナオミがボアズのことを「その方は私たちの近親の者で、しかも、買戻しの権利のある親類の一人です」と言っています。
買戻し、はゴエルといい、レビ記25:23~27にある律法です。

ちなみに、ここで買い戻された土地は、買い戻した本人の物にはなりません。元々持つ権利のある人(この場合はナオミと亡夫の土地)の元に戻ります。
経済的負担を余儀なくされるので、必ずしもこの権利は喜ばしいものではありませんでした。権利とありますが、義務や責任という意味合いが強いのです。

ナオミはこの律法に従って、以前手放した、あるいは10年近く放っておいた土地があったので、ボアズにこれを買い戻してもらおう、または言い方は悪いですがルツとセットで買戻し、または買ってもらおうと考えました。

土地は、買戻しの権利を放棄して売ってはならない。土地はわたしのものである。あなたがたは、わたしのもとに在住している寄留者だからである。(中略)

もしあなたの兄弟が落ちぶれて、その所有地を売ったときは、買い戻しの権利のある近親者が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。(後略)

レビ記25:23~27

あがなう(贖う)ということ

買い戻す=あがなう

新約聖書時代の「贖い」も、この考えに基づいています。
罪によって負債のある人間は、メシア、イエス・キリストの血を代価として買い戻されたのです。

わたしがあなたの神、主であり、あなたの右の手を固く握り、『恐れるな。わたしがあなたを助ける』と言うものだからである。

恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。
ー主のことばー
あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者

イザヤ41:13、14

ここで「贖う者」と訳されているところもヘブル語では、ゴエルとなっています。
主が与えた律法を主ご自身も負って下さり、私たちは買い戻されたのです。

わたしがあなたを助ける

落ちぶれた人間を徹底的に買い戻す(贖う)ことは、リスクが余りに大きいのです。下手をすると自分まで財産を失いかねません。
愛がなければ到底できることではない、ということを知っておいて頂きたいと思います。

ゴエルの条件

ゴエルの条件

ゴエルが出来るのは①近親者②財力があり③買戻しの意志がある者でした。ボアズはこの条件にピッタリです。

勿論、夜中に足元に人がいることに気付いたボアズはビックリしますが、ここでルツは2章でボアズが言った言葉と同じ言葉を使って求婚します。

「~あなたの覆いを、あなたのはしための上に広げてください。あなたは買戻しの権利のある親類です。」

ルツ3:9

これは権威の庇護下に入る=結婚するという表現で、エゼキエル16:8にも出てきます。
ボアズは2章で、ルツを祝福してこう言っています。

~あなたがそのの下に身を避けようとして来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」

ルツ2:12

「覆い、裾」(カナフ)=翼 これは同じ言葉が使われています。
この求婚は読むと分かるように、ボアズがゴエルとなって買い戻しをしてくれることを前提とした求婚でした。

誠実、真実=ヘセドをもって行動するボアズ

突然の求婚を、ボアズは喜びとして受け止めたと思います。ですがあくまでも彼は、ルツの立場を思いやる行動を示しています。とても冷静で、愛のある人ではありませんか。

ボアズは言った。「娘さん、主があなたを祝福されるように。あなたが示した、今回の誠実さは、先の誠実さにまさっています。あなたは、貧しい者でも富んだ者でも、若い男の後は追いかけませんでした。

ルツ3:10

先の誠実さ=ナオミに従ってモアブからベツレヘムまで来たこと。姑に尽くすことを通して、イスラエルの神、イスラエルの民を選びました。

今回の誠実さ=「若い男の後を追わなかった」
ルツは自分の年に見合ったような若い男性を選びませんでした。あくまでも買い戻しの権利のあるボアズによって、また神の律法に従って結婚後の人生を捧げようとしていること。

主の与えられた

ボアズもまた、ルツのように神に従って事を成そうとしています。
近親で、買い戻しの権利のある親戚がいたようで、その人が買い戻すと言ったら、この話はナシなのです。

私たちは自分で良いことだと思う、もしくは自分が望むことである場合、御言葉や状況を自分の都合の良いように解釈することはないでしょうか。
勝手に納得し、行動を起こしてしまいます。ボアズはそうではありませんでした。

ところで、確かに私は買戻しの権利のある親類ですが、私よりももっと近い、買い戻しのある親類がいます。

今晩はここで過ごしなさい。「朝になって、もしその人があなたに親類の役目を果たすなら、それでよいでしょう。その人に親類の役目を果たしてもらいましょう。もし、その人が親類の役目を果たすことを望まないなら、私があなたを買い戻します。主は生きておられます。さあ、朝までお休みなさい。」

ルツ3:12~13

ナオミの”ゆだねる”信仰

彼女が姑のところに行くと、姑は尋ねた。「娘よ、どうでしたか。」ルツは、その人が自分にしてくれたことをすべて姑に告げて、こう言った。

「あなたの姑のところに手ぶらで帰ってはならないと言って、あの方はこの大麦六杯を下さいました。」

ルツ3:16~17

待っていたナオミは気が気ではなく、おそらく寝ないでルツの帰りを待ったのでしょう。
この大麦(6杯=約30kg)が、「ルツを妻にし、ナオミをもお世話しますよ」ということをしめすメッセージであることは間違いないと思います。

ルツ3:18

求婚した結果はボアズに託すしかない状況ですが、そのボアズにもまだ、どうなるのか分かりません。しかし、大切なのは神を信頼することです。

そしてこの、「落ち着かないでしょう」という言葉は、英語では「the man will not rest」(彼は休まないでしょう)となっています。

ボアズは2章でもお話ししましたが、彼の厚意はイスラエルの神を象徴している「型」ですから、事を解決するまで休まない(落ち着かない)のはイスラエルの神なのです。

イスラエルの主のみ心

主は あなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は まどろむこともない。
見よ イスラエルを守る方は まどろむこともなく 眠ることもない。
主はあなたを守る方。
主はあなたの右手をおおう陰。
昼も 日があなたを打つことがなく
夜も 月があなたを打つことはない。
主は すべてのわざわいからあなたを守り あなたのたましいを守られる。

詩編121:3〜7

主は、「まどろむこと」も「眠ること」もなく、「すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる」 方だとあります。
またマルコでは、イエス様が歓迎された町に留まるのではなく、次の町へも積極的に移動され、福音を伝えておられることが分かります。

「さあ、近くにある別の町や村に行こう。わたしはそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから。」

マルコ1:38

ボアズにしても、もしそこに自分よりも近い近親者がいるのであれば、彼にゴエルとしての責務を任せて、自分はゆっくりしていれば良かったはずです。
でも彼はルツを愛していて、彼女のために、律法にのっとって迎え入れるために、休むことなく、次の行動に出ています。

そして、このボアズはキリスト・イエスの姿を私たちに見せている”型”です。

イエス様は、ゴエルとしての役目を果たして下さいました。
罪と死と絶望の中にいる私たちを贖いだすために、休むことなく十字架の道をまっとうしてくださいました。
それだけではなく、「今も」休むことなく、私たちのためにとりなして下さっています。

贖い主、イエス・キリスト

だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。

ローマ8:34

なぜそこまでしてくださるのでしょうか?

それは、私たちを真実に愛して下さっているからです。
その愛を素直に受け取りましょう!!

※詳しい動画と音声はこちらより。パスワードは webcha です。

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