10月31日:聖なる戦い③ 上に立つ権威に

メッセージ

従いなさい」ローマ13:1とあっても、そうできない状況や場合は? 間違った社会制度や権力者に服従しなければならない?
 共産主義や独裁主義も、神から出ている?  支配者や権威者に盲従するように勧めている?
 神の真意は何でしょうか? ご一緒に学び、どのように生きたらよいのかをともに考えてみましょう。

YOUTUBEにより詳しい音声と動画がアップされています。

上に立つ権威に従いなさい

 人はみな、(自分の)上に従いましょう。というのは、神から出ていない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって認定、任命、決定されたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。

ローマ13:1(私訳)

ローマ人への手紙にはこう書いてありますが、悪法であっても権力者が間違っていても、独裁主義でも服従しなければならないのでしょうか?
間違った支配者に、盲従するようにと聖書は言っているのでしょうか。

1:全ての権威は神に由来する

①すべての権威は、神が与えたものです。
②神のご支配の下にあります。
③権威に逆らうなら、結果を身に招く。
権威を任された者は
④その仕事が任され、託され、委ねられている。
⑤神は権威の乱用を許されていない。
神の権威を自覚し、恐れ敬い行動しなければならない。

2:すべての権威者の上に、神が存在する

①どんな人も、為政者も神の権威に従わなければならない。
②自分を神としてはいけない。
③自分を最高の権威者としてはいけない。
権威を任された者は・・・
神の権威に背くなら、自分自身に神の裁きを招きます。
最後の審判のときに、すべてが明らかになります。

3:権威が与えられた目的

支配者が恐ろしいのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。その権威を恐れたくないと思いますか?良いことを行いなさい。そうすれば、支配者から賞賛されます。

ローマ書13:3(私訳)

つまり、神から権威が与えられたのは、良い事、善を行わせるためであり、ひいては国民の益のためなのです。

4:権威が与えられた者の存在理由

それは、彼があなたに益を与えるための神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。

ローマ13:4

剣を帯びている、というのは『死刑を執行する権限も授けられている』という専門用語です。為政者は人の命を預かる、重大な責任を負っている、神のしもべなのです。

5:権威;神の法>良心>悪法

ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。

ローマ書13:5

旧約聖書には、悪法に従わなかった例も書いてあります。

彼は言った。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら、生かしておくのだ。」
しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。

出エジプト記1:16-17

出エジプト記の20:13に、モーセが神から頂いた十戒の第6戒、『人を殺してはならない』がありますが、それを受ける前にヘブル人の助産師達は行動したのです。
つまり彼らは良心に照らし合わせ、悪法よりも良心を恐れて行動しました。彼らの存在がなければイスラエルの歴史はありません。
結果的に、ヘブル人の男の子はむしろ、増えて行きました。

 神はこの助産婦たちによくしてくださった。それで、イスラエルの民はふえ、非常に強くなった

出エジプト記1:20

6:権威;神の法を超える良心?

ある安息日に、食事をしようとして、パリサイ派のある指導者の家に入られたとき、みんながじっとイエスを見つめていた。
そこには、イエスの真っ正面に、水腫をわずらっている人がいた。
イエスは、律法の専門家、パリサイ人たちに、「安息日に病気を直すことは正しいことですか、それともよくないことですか」と言われた。
しかし、彼らは黙っていた。それで、イエスはその人を抱いていやし、帰された。
それから、彼らに言われた。「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか。」

ルカ14:1-5

パリサイ人たちは、安息日に病気を治すことは「良いか、悪いか」で考えていた。
安息日の意味をとても表面的、祭儀、律法的な解釈で受け止めています。しかし本当は、神の心を、倫理的な意味合いを、捉えなければならなかったのではないでしょうか。
神は人が休むために、安息日を与えてくださったのです。

さて、ここにいた招かれざる客、『水腫をわずらった人』がいました。
今も昔も、イスラエルの人たちは大皿に盛られた料理を回しながら食事をします。この水腫をわずらった人は、食事を共にするために招かれた訳ではないでしょう。
パリサイ人たちはこの病人を汚れた者とみなしていたでしょうから、彼が連れて来られたのは、イエスが安息日にこの人をどうするか…それを試す為だったのです。

イエスは安息日は人の為にある、ということを示されました。
つまり、体液が漏出するその人を抱いて、癒されたのです。
律法の本質は、神への愛、隣人への愛なのです。

安息日という、十戒の第4戒を与えたご本人が、律法の本質に従って行動せよと言われています。

7:神に従わない権力者

「良心に反する事」を要求される時。
神の律法を犯すことを要求される時。
国民の自由を奪い、人権を侵害する時。

それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。

ローマ書13:3(部分)

彼らは、いつもその務めに励んでいる神のしもべなのです。

ローマ書13:6(部分)

神のしもべという事は、最終的には神が責任を持って裁かれるという事です。
神によって立てられた権威を乱用し、国民を苦しめているなら、自分の権限を超えたサタンと同じ裁きを受けます!

穏やかで安定した生活の秘訣

 そこで、まず初めに、すべての人のため、また王とすべての高い人たちのために願いと祈りととりなしと感謝をするように勧めます。
それは、私たちがすべての尊厳と厳粛さをもって、穏やかで安定した生活を送るためです。
これは、私たちの救い主である神の御前において、尊いことであり、喜ばれることなのです。

Ⅰテモテ2:1-3(私訳)

ニュージーランドで、世界中で、権威を持つすべての人が神のしもべとして神の御心を行えるように祈りましょう!

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