今、皆さんと礼拝の後に学んでいる『使徒の働き』ですが、これまでの福音書とはガラリと雰囲気が変わったのが分かると思います。
とてもダイナミックな聖霊の働きに、21世紀の弟子である私達も勇気づけられますし、福音書のイエス・キリストと、イエスの弟子たちの教えとを結ぶ絆を読み取ることが出来ます。
単に初代教会30年の歴史…というだけでなく、多くの名も無い人々がイエスの体を作る弟子の一人となって、福音が伝わっていく…今回は、その『使徒の働き』をダイジェストで紹介したいと思います。
「使徒の働き」が書かれた目的
某解説書には、『キリスト教会が誕生した、その発展について正確に記述。』と書いてあります。確かにそうなのですが、それだけでは身も蓋もないと思いませんか?
この書がなければパウロが他に残した沢山の書簡の、正確な理解は難しかったと思いますし、そもそもパウロって誰だ?という事にもなりかねません。また、この書はイエス・キリストの働きや宣べ伝えた教えと、弟子たちが広めていく教えとの橋渡しをしてくれています。
エルサレムに誕生した初代の、クリスチャンたちの小さな集まりが、ユダヤからサマリアへ広がり、やがてアジア地方をへてローマ帝国の中枢に・・・という感じで地中海を中心に広まっていく過程を描いているのです。
前半はペテロ中心、後半はパウロが歩きまわっていますが、ローマ書を読むとパウロが行く前からローマにはイエス・キリストを信じる人たちの群れ、エクレシアがあったことが分かります。
こうして始まった・・・
まず使徒の働きは、イエス様が昇天される場面から始まります。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、わたしの証人となります。
使徒の働き1:8
そして聖霊が祈る使徒たちの上に下り、大きく変えられた彼らから福音を聞き、それを信じて救われていく大勢の人たちがいます。
ペンテコステの日、いわゆる7週の祭り(シャーヴォット)のためにエルサレムに集まっていた人たちは、それこそ地の果てからも来ていました。
その一方で、せっかく旧約聖書の古きに渡ってメシアについての預言を知りながらも、ユダヤ人の多くはその救いを拒否しました。権力、貪欲さや嫉妬など、その他多くの悪魔の策略が読み取れる書物でもあるのです。
使徒の働きは歴史的な記録です
イエス様の直接の弟子ではない、多くの名もない人々がイエスを信じて、イエスの体を作る弟子のひとりとなって行き、大きなわざや時には殉教という結果をも用いられながら、エルサレム伝道(1:1~8:4)、ユダヤとサマリアでの伝道(8:5~12:25)、地の果てへの伝道(13:1~28:31)という風に福音が広まっていく様子が分かります。
そこで各地では、エクレシアと呼ばれるキリストを信じる群れ・集会が出来て、それがのちに大きくなって行きます。
『教会』という単語について
ここで少し、ギリシャ語の「エクレシア」が「教会」という単語に訳されたことについて考えてみたいと思います。
多くの方が、教会と言うとキリスト教の聖堂、ビル、などの建築物を思い浮かべられると思います。しかし新約聖書に関する限り、これは「建物」をさしている言葉ではありません。
そもそも「教会」という言葉は日本にはありませんでした。どこから来たかというと、お隣、中国の聖書から拝借してきたのです。
ヘボンの最初の翻訳では「エクレシア」は「教会」ではありません。
どう訳したかと言うと、「集会」です。そう、エクレシアはコミュニティのことなのです。
使徒の働きの書かれた時期
書かれた時期は紀元61年から64年の間だろうと言われていますが、諸説あります。
まだイエス様が地上におられたことを知っている人がギリギリいる時代、嘘は書けない時代です。かといって、もう残り少なくなっていることも確かです。
パウロが殉教することも、ネロの大迫害のことも、エルサレムが陥落したことも書いてないので、これらの前に書かれたことは間違いありません。
書いた人はルカで、ルカの福音書の著者と同じ人で、本業は医者。
異邦人だったという説が多いですが、ユダヤ教、ヘブル語の聖書(旧約聖書)に精通していることから、実はユダヤ人だった、国外に住むユダヤ人だったという説も有力です。
この2つの書はとても綺麗なギリシャ語で書かれていて、また歴史の記述の技法も一流だそうで、ルカが相当の教養人だったことが分かります。
当時の有名な大学の町はギリシアのアテネか、エジプトのアレキサンドリアか、パウロの出身地、小アジアのキリキヤにあるタルソだったので、このどこかで高等教育を受けた人だと思われます。
年表から見る使徒の働き:前半
1章では多くのことが起こりました。主イエスが十字架に掛かられ、復活され、オリーブ山の山頂から天に帰られました。そして50日後の7週の祭り(シャーヴォット)の日、(シナイ山で神がモーセに律法を授けたことを祝うユダヤ人の祭り)イエスに従う人々の上に聖霊が下ったのです。
AD35年には早くも初めての殉教者が出ます。ステパノです。
そして同じ年に、パウロ(サウロ)が回心します。
主よ、この罪を彼らに負わせないでください。
使徒の働き7:60
この回心の後、パウロが順調だったわけではありません。3年間を「アラビヤ」で過ごし、ダマスコでは、かごに隠れて逃げなければならなかったことが、9章23節から25節には書いてあります。(ガラテヤ1:17/Ⅱコリント11:32-33にも関連)
AD38年頃にはペテロがサマリヤと海岸沿いを宣教し、次第にイエスをメシアと信じる人々が増えていきます。
そしてついに、異邦人、百人隊長のコルネリウスに聖霊が下り、バプテスマを受けるという大事件が起こるのです。
この人たちが水でバプテスマを受けるのを、だれが妨げることができるでしょうか。私たちと同じように聖霊を受けたのですから。」
使徒の働き10:47
AD43にバルナバがパウロを探しに向かいます。
パウロは故郷タルソで、何もせずただじっとしていたのでしょうか…それだったらバルナバが敢えて探しに行くはずはないと思うのです。
故郷という宣教の最もしづらい場所で、パウロは恐らく嘲られ、自分がしていたような迫害にも遭いながら、イエス・キリストこそ救い主だという事を語り続けていたのでしょう。
バルナバとタッグを組んだパウロは精力的にみことばを語り、アンテオケで初めての教会=集会が出来ます。
弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。
使徒の働き11:26
キリスト者、とは当時は蔑称でした。キリスト馬鹿とか、キリストの奴隷とか、そういう意味です。
イエス・キリストを信じた人々は、キリストの故に迫害を受け、キリストの故に蔑称で呼ばれることを誇りとしました。
年表から見る使徒の働き:後半
さて、使徒の働きも後半に入るとパウロの活動が目立ってきます。パウロがと言うよりも、パウロに語られる主、パウロを導く聖霊の働きが凄いのです。
パウロはローマ帝国の主要な道沿いにある町から町へ歩いて伝道旅行をしました。歩いた距離は16,000キロ以上だといわれています。
彼は都会人で、当時の大きな町を良く知っていたのでしょう。パリサイ人であるパウロはまず町の会堂からユダヤ人に向けて伝道を始め、そこでは大概上手くいかないので、異邦人のところへ行く、という繰り返しでした。
ピリピやエペソ、コリントやアンティオキアのような町は、様々な人、様々な文化の集まる、活気あふれる街でした。
AD46からパウロ、バルナバ、そしてバルナバの親戚マルコが第1回伝道旅行に出ます。しかし、若いマルコはパンフィリアのぺルゲからエルサレムに帰ってしまいました。これには諸説あります。
海岸沿いのペルゲにマラリアが蔓延していたから、それに恐れをなして帰ってしまったのだ、というのです。パウロ、バルナバもすぐに内陸、ピシディアのアンテアケへ移動しています。第2回の伝道旅行には連れて行って貰えず、バルナバと行くことになったマルコ。
しかし彼は晩年、エジプトのアレキサンドリアの教会の総督になり、最後は火に投げ込まれて殉教したと言われています。
パウロとも和解をしています(コロサイ4:10/Ⅱテモテ4:11/ピレモン24)。
AD49は「エルサレム会議」と呼ばれる所です。ペテロの登場は、この章ではここで最後です。彼はユダヤ人伝道へ向かい、パウロは異邦人伝道へ用いられたのです。
AD50-52、パウロの第2回伝道旅行は、上記理由でバルナバではなくシラスを伴いました。
AD53-57は第3回伝道旅行です。この途中、AD54にはあの悪名高いネロがローマの皇帝になりました。クリスチャンへの迫害がますます加速していきます。
けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。
使徒の働き20:24
こう言うパウロの覚悟は並々ならぬものだったでしょう。しかし時には彼も弱気になることがありました。自分を殺すまでは食べたり飲んだりしない!、と誓う人々がいる状況は、非常に恐ろしかったと思います。
その度に、主に励まされて全身を続けるのです。
「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」
使徒の働き23:11
AD57-59にパウロはカイザリヤで投獄されます。そして主が言われたように、ローマへ行くことになります。AD62にはローマに家を借り、色々な人に神の御言葉を伝えた様子が書かれています。
使徒の働きはここで突如、終わってしまいます。まるですぐ後から続きを書くつもりだったかのように。
神の救いの歴史は、イエス・キリストが来てくださったことによって終わりの時代に入りました。
『使徒の働き』は、普通の人が沢山出てきます。そして未完の書です。この書最後の句(2節)は、紀元60~62年ごろの状況説明なのです。
私たちが今、この書の29章目を引き継いで働いているのではないでしょうか。私たちもこの時代の人たちの同労者です。
復活のイエス・キリストはやがて戻って来られます。その時まで、私たちは主のことを力一杯、証し続けましょう。
※良く詳しい音声と動画はこちらより。パスワードは webcha です。
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