2月6日:聖書終末預言⑦ ~ 最後の預言書から①

メッセージ

最高に面白い預言書をみなさんとご一緒に紐解いていきたいと思います。
一般に黙示録と言われていますが、誤訳で、正しくは「啓示録」です。

旧約聖書の時代に封じられていた預言が、この書を学ぶことで解き明かされていきます。
現実に起こっていることの真意を理解し、未来に備えるためにも、「最後の預言書、啓示録」を これから徹底的に学んでいきたいと思っています。
同時に、聖書全体の預言にも触れながら、今起こっていること、近未来に起こることなど、共に学んでみましょう!

”黙示録”は誤訳!

『黙示録』というタイトルは中国語の聖書から来たもので、古代ギリシャ語でἈποκάλυψιςと表します。
意味は、『啓示』で、その名の通り『明らかに示す、良く分かるように明らかにする、明確に伝える』という意味があります。

隠されていたことを啓き示すこと、覆いを取り除く、秘密を解き明かすことが、このタイトルには含まれているのです。

啓示の神、有言実行の神

まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。

アモス3:7

先の事は、見よ、すでに起こった。新しい事を、わたしは告げよう。それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう。

イザヤ42:9

こう書いてあるように、神はご自分のご計画を預言者を通して、私たちに伝えて下さいます。むしろ、伝えないでは何事もなさらないとあります。
そして、神は有言実行の方でもあります。これまでの預言がすべて叶ってきたように、これからの預言も同じように成就するのです。

啓示録を読ませないという妨害

啓示録(黙示録)を読んだことがありますか?
もしかすると、聖書の中でも唯一読んだことがない!という方もおられるのではないでしょうか。それは、サタンの妨げです。
啓示録には、サタン、悪霊ども、堕天使どもの最期が書いてあります。彼らはゲエンナへ行くのです。

啓示録を読まない教会もあるようです。
そういった偽教会、偽教団教派、カルトは、未来のことがはっきりと預言してある啓示録を敬遠します。
闇を暴露させないために、説教(礼拝メッセージ)しません。
読まない、話さない、悟らせない、又は間違った解釈で、会衆を真理から逸らそうとします。

そういった名ばかりの教会についても、聖書は厳しく追及しています。

啓示録は難解だ、という思い込み

黙示録は確かに、象徴、比喩、謎めいた幻が多く出てきます。そのため、意味不明だと思わせられているのです。
~のようだ、という表現は、ヨハネが生きた1世紀当時の語彙で、精一杯未来のことを書き表そうとしたのですから、前後関係文法などからよく読み解くことです。

旧約聖書、他の書からの引用も800以上ありますから、そこと引き合わせて考えることも重要です。
ヨハネが見た立体的(3D)な幻を、当時の語彙で描写したのです。

これまで封じられていた預言が啓かれて、明らかにされているのが啓示録なのです。
その啓示録の真意を隠そうとするのは、サタンを礼拝するサタニスト、ユダヤ教のカバラを研究するカバリスト、闇の側などですが、彼らは敗北します。最後はゲエンナ、地獄へ行きます。

あえて神のご計画を悟らせまいとする側には、聖霊がありません。
イエス・キリストの血潮による罪の清めもありません。よって、神との生きた関係もありませんし、聖書全体を理解していないのです。

そこでイエスは言われた。「あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないからです。

ルカ8:10(拙訳)

すると仰せられた。「行って、この民に言え。『聞き続けよ。だが悟らない。見続けよ。だが知らない。』
この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見ず、自分の耳で聞かず、自分の心で悟らず、立ち返ってもいやされることのないように。」

イザヤ6:9~10(拙訳)

ここには、神の強い願いが逆説的、断言的表現として表されています。
当時の権力者に快いメッセージを伝えず、神の御心だけを伝える預言者は、孤独だったでしょう。

終わりの時まで

彼は言った。「ダニエルよ。行け。このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ。
多くの者は、身を清め、白くし、こうして練られる。悪者どもは悪を行い、ひとりも悟る者がいない。しかし、思慮深い人々は悟る

ダニエル9:9~10

ダニエル書にはこう書いてあります。ダニエルの時代には封じられていたのですが、今や明らかにされる時代になりました。
そうであれば、自分と結び付けて考えるべきです。

マルティン・ルターもフルドリッヒ・ツヴィングリも、啓示録を排除しようとしました。
彼らは宗教改革者で、良い改革も沢山あったのですが反ユダヤ主義だったのです。AD70 に滅んだイスラエルのことが書いてある啓示録など意味がないと思ったのでしょうか。

しかしイスラエルは1948年、建国しました。最初は小さい国でしたが、今や世界に通用する、多くの富を蓄えた軍事的にも力のある国になっています。
神が示されたことは、100%実現するのです。

啓示録は過去のもの?辻褄合わせのこじつけ解釈

啓示録は過去の出来事を書いたものだ、とする解釈があります。
内容を全て”比喩”として解釈し、古代ローマについて書いてあるのだとするのです。例えば、反キリストとは、クリスチャンたちを迫害したネロ皇帝のことだと言います。
反キリストを象徴する数字、666についてもカバラ数秘術を使い、皇帝の部分nrwnqsrを数字として読み解くと『666』だと説明するのです。しかし、聖書に666というのは反キリストの”名前”だとあります。
皇帝は名前ではないですよね、称号です。
ネロの後に世の終わりは来ていません。千年王国も来ていません。無理なこじつけであると言えます。

 キリスト(メシア)であるイエスの啓示。これは、神が彼(キリスト)のしもべたちに示すため、彼(キリスト)に与えたもので、すみやかに確実に起こるべき事柄である。そして彼(キリスト)は、彼の天使を送り、彼のしもべヨハネに与えた。

黙示録1:1(拙訳)

ヘブライ語でメシアはマーシーアッハァといい、『(神によって)油注がれた者』という意味です。イエスの名前はヘブライ語でイェシュアッハァと言い、ヤハウェは救いという意味です。
すみやかに、というのはギリシャ語でタクォスと言い、量的な時間ではなく、質的な時間を指しています。
つまり『時が来たなら速やかに実現する』という意味なのです。

命をかけた証言

この者(ヨハネ)は、神のことば(ロゴス)とキリスト・イエスの証言、それと、彼の見たことのすべての事を証言した。

黙示録1:2(拙訳)

証言という言葉は『殉教』という言葉の名詞形、マルツリーアです。単なるリポートではなく、命を懸けた証言なのです。
預言者は1回でも外したら死刑!という風に決まっています。

なんと羨ましい、祝福された者よ!その預言のことばを読み聞かせる者と、聞く人々と、その中に書かれている事柄を注意深く見張り続ける人たちは!その定められた時間近に迫っているからだ。

黙示録1:3(拙訳)

聖書の言う”祝福された者”は、どういう人たちでしょうか?
それはご利益を考えたり、自分の望みを通そうとするのではなく、神ファースト神の御心、御言葉を優先する人たちのことです。
世界終末時計が進められた、というニュースがありますが、そのように世界の終わりが間近に迫っている今だからこそ、私たちは神のみ言葉に聞き従っていかなければなりません。
神に繋がって欲しいと思います。

祝福されたみ言葉

 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられた分かるのです。

Ⅰヨハネ5:14~15(拙訳)

どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願い求めるところのすべてを、はるかに越えてかなえて下さることのできる方に!

エペソ3:20

現在、色々な不安の中におられる方。色々な事柄を、どうしようかと思い悩んでおられる方もおられると思いますが、私たちの願いをかなえて下さる主に信頼しましょう。

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