何が安全で、何が危険なのかが、わからなくなっていませんか?
人の迷惑にならないよう、そして安全のためにと2回ワクチン接種をした結果、その日から、高熱が出て、前の日の記憶がない意識障害に苦しむ結果になってしまった友人。健康が損なわれ、不安が絶えずつきまとい普通の日常が奪われている状況。
いったい、これからどんなことが起こってくるのでしょうか? 間違った情報や周りの圧力、やむを得ない状況で、たとえ何が起ころうとも、安心と平安を持ち続けたいものです。
神のマスタープラン
神様のマスタープランは聖書に全て書いてあります。
レビ記23章や、イスラエルの7つの大祭、それぞれに意味があるのですが、それはまた今度改めてメッセージします。
創世記から黙示録(啓示録)までを貫く1つのことばがあります。それは、『安息』です。
六日間は仕事をしてもよい。しかし七日目は全き休みの安息、聖なる会合の日である。あなたがたは、いっさいの仕事をしてはならない。この日はあなたがたがどこに住んでいても主の安息日である。
レビ記23:3
安息、シャバットのルーツ
神は第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。
創世記2:2
この『休まれた』となっている部分が『シャバット=安息』です。
神は一瞬で全てを成し遂げられる方ですので、勿論世界を、宇宙を、一瞬でお造りになることは出来たでしょう。それをあえて、6日に分けられたのです。
そして第七日目に休まれたのは、寧ろ人間のためではないでしょうか。
6日間の創造の御わざで作られていなかったものは?
天使軍はどうでしょうか?万軍の天使たちは恐らく第一日目に造られたと読むことが出来ます。
エバはどうでしょうか?彼女が造られたのは第六日目です。「男と女とに彼らを創造された(創世記1:27)」とあります。エバが造られた詳細が2章でより詳しく語られますが、1章で起こったことを説明しただけなのです。
つまり、この六日間で全ての番章は完成し、完成しなかったものは何一つありませんでした。
七日目、人の為に用意されたもの
これが安息です。
まだイスラエル人、ユダヤ人も存在していませんでした。出エジプトはここから更に2513年後です。モーセも律法もありませんでした。
人が罪を犯す前に既に安息が与えられていることが、興味深いと思いませんか?
シャバットの完成する時
これは黙示録にある、主イエスが再び来られる時です。
主イエス・キリストの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。
黙示録(啓示録)22:21 私訳
これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。そうです。主イエスよ、来てください。
黙示録(啓示録)22:20
21節には『キリスト』が抜けている聖書が多いのです。重要なことばですので、是非足しておいて下さい。
全き休みの安息
この七日目の休みには複数の意味があります。
一つは文字通り「休む」という事です。仕事を一切やめ、ここでもう少し生産活動を・・・という欲が出るところを、神が私の生活を守って下さると信頼し、お委ねするのです。
二つ目は聖別、「特別に取り分ける」という事です。
日常ではなく特別な物として神に捧げる日なのです。神の下に集まり、安息に預かり、祝福を受ける日です。
自分の働きを止め、過去キリストが行われた十字架と、復活の御わざの中に休み、今行われていることの中に休み、未来に行われることの中に休み、キリストの中にとどまり続けるのが安息日です。
三つ目は、神の救いの御わざを思い起こす日、という事です。
安息日を守って、これを聖なる日とせよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。
申命記5:12-15
六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。—あなたも、あなたの息子、娘も、あなたの男奴隷や女奴隷も、あなたの牛、ろばも、あなたのどんな家畜も、またあなたの町囲みのうちにいる在留異国人も—そうすれば、あなたの男奴隷も、女奴隷も、あなたと同じように休むことができる。
あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主は、安息日を守るよう、あなたに命じられたのである。
感謝し、安息を受け、また次の六日間を神と共に、喜んで生きるようにという意味が込められています。
イエスは安息日の主
また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。
マルコ2:27-28
人の子は安息日の主です。」
イエスは安息日に、人々に本来の安息を与えようとして来られました。
この時代も今も、安息日の意味を曲解し、多くの決まりごとで人々を縛り付けている律法がありました。
39の仕事や労働の禁止事項の上に、1つを更に6分割し、39×6=234の禁止事項を定めていました。
しかし、元々決まりなど無いのです。仕事を休めば良い、ただそれだけです。
世が与える平安とは?
世が与える平安は物から来ます。
物は必ず朽ちて行きます。しかし次から次へと、持てる者は更に多くを求めるようになります。限りがないのです。
それに対して、イエスは「私の平安をあなたがたに与える」と言われました。
真の平安を買う
安息日というのは「影」です。
その本体はイエス・キリストそのものです。
こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。
コロサイ2:16-17
これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。
何かの代わりに平安を・・・ではなく、絶対的な平安を主イエスから頂きましょう!!
※より詳しい音声と動画はこちらより。パスワードは webcha です。
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